興亜観音六十周年に思う
板垣 正 陸士58期生 前衆議院議員 |
興亜観音が、松井大将の発願により、昭和15年2月、熱海・伊豆山に建立されてから本年は、まさに60周年を迎えます。
わが国にとり、有史以来、未曾有(みぞう)の激動と変革の60周年を省(かえり)みれば、興亜観音があらゆる風雪を乗り越え守り抜かれてきたことは、まさ奇跡(きせき)に近いと、関係各位のご苦労に対し、深甚(しんじん)な敬意と感謝を捧げる次第です。
いま、改めて慈眼あふれる興亜観音を仰ぐ時、松井大将の「興亜観音縁記」の次の言葉が想起されます。
「この功徳を以って怨親平等に回向し、諸人とともに倶に彼の観音力を念じ、東亜の大光明を仰がん事を祈る」
松井大将は、孫文の大亜細亜主義に共鳴して、中国革命を支援し、また自ら大亜細亜協会を主宰して、中国の要路と肝胆あい照らし日中提携とアジア復興の道を求めました。
しかし、わが国は敗戦の悲運に再会し、誰よりも中国と中国人を愛した松井大将は、東京裁判において“南京大虐殺”とういう全くのでっちあげ事件の責任を問われ、いわゆる「A級戦犯」として処刑されました。
まことに言語道断、正義に反するという以外ありません。
そもそも東京裁判そのものが、国際法無視の復讐劇に過ぎなかったことはすでに自明の事実です。その最大の狙いは、連合国側の何世紀に及ぶアジア侵略、植民地支配の罪業を覆い隠し、さかさまに日本を、非道な侵略国家、犯罪国家として仕立て上げ、日本国民に罪の意識を植え付けることにありました。
そのためいわゆる「A級戦犯」7名は、世界征服を共同謀議し、侵略と殺戮(さつりく)と破壊を恣(ほしいまま)にした「平和の罪」の元凶として断罪されました。
また千名を超えるいわゆる「B・C級戦犯」は、捕虜虐待などの名目で、遥かに残虐な行為を棚上げした連合諸国によって処断されました。
しかし、こういった真実を無視し、正義に叛(そむく)く企(たくら)みが、永続する筈(はず)は無く、すでに破綻しつつあります。
松井大将は、巣鴨下獄前に書き遺された「我等(われら)の興亜理念」の中で、「我等の正義信念は依然として動揺せず、アジア復興に関する彼等の理念は燦然(さんぜん)として永く青史を照らすであろう」と正々堂々と胸を張り、さらに「我等八千万国民は、いずれの日にかアジア十億の民と共に再起して、道を貫く時あらん」と“アジアの時代”の到来を予測しています。
まさに、当時の日本の真実の声というべきであります。
大東亜戦争を契機として、アジアは覚醒しそれぞれの民族は念願の独立を達成し、やがて廃墟から再起した日本と協力し、まさに“アジアの時代”が開花しました。
アジアの覚醒は、アフリカの覚醒をもたらし、さらに強権支配や人種差別を許さないソ連共産党体制の解体へつながりました。
興亜観音の仏縁に結ばれ、境内には吉田茂元首相による「七士の碑」が遺骨とともに鎮(しず)まり、隣には「大東亜戦争戦没将士の墓」が祀(まつ)られています。この地は、まさに興亜の大霊場と言うべきであります。
わが国の現状と、不安定な中国や北朝鮮情勢を見れば、「東亜の大光明」は、まだ中道にあると申さねばなりません。
「興亜観音」を守る意義の重さを改めて認識するとともに、継承発展を祈念する次第です。