新 | 聞 | に | 望 | む | ||||
小宮賢孝 |
新聞は社会の公器である。 世論を導くものは報道である。 故に、報道は真実を伝えるものでなければならない。 |
虚偽の報道、作為の報道、誤れる政治目的の報道が、如何に人心を惑わし、国家社会を危なくしたかは、歴氏の示す通りである。
交通の発達は数日を待たずに地球を一周出きるまでとなった。
通信の発達、報道の進歩は、地球の裏側の人々とも即日通話が可能となり、地球上の出来事が即刻全世界の人々の耳目に入る様になった。
既に現代は地球時代であり、地球は全人類共存の場である。
この地球時代には、世界の平和なくしては一国たりとも平和ではいられないのである。
しかしながら、現実の世界は民族間の対立、思想・宗教の対立等々で、処々に衝突を繰り返し。
世界の恒久平和を願った国連も充分にその機能を果たし得ず。
先の大戦で戦争の悲惨を痛感した人類が、未だに原水爆を禁止することも出来ず、かえってその威力を増さんとさえしている。
まさに人類は破局混迷の時代に入りつつある。
人間の社会は人と人との関係に始まる。
相手を愛の対象とするか、慈悲の対象とするか。恨みの対象、憎しみの対象とするか。
我欲の犠牲者とするか。により、平和か争いか、罪悪かに分かれてしまう。
所詮、人間には我欲がある。
我欲と我欲との衝突は争いとなるのみである。我欲の単なる動物的発散は人間を野獣の段階にと落とすものであり、そこには弱肉強食の修羅場が現存するのみである。
また、人間は人格の未完成な存在であり、妄想に陥り易い。妄想のままの行動は誤れる結果を招くのみである。
大聖釈迦の教えに『一切の業障(ごうしょう)海は皆妄想より生ず』と、ある。
業(ごう)とは人間の行為であり、善の行為を善業(ぜんごう)、悪の行為を悪業(あくごう)という。業障海(ごうしょうかい)とは、悪業のための災いは海の様に広がっているとの意である。
一切の悪業のための人災はみな妄想より生じているのである。
人災の最大なるものは戦争である。戦争の根本原因も妄想である。
人間を妄想より救ってくれるものは、唯、真理のみである。
しかし、この真理は、まことの真理でなければならない。
オウム真理教などの如く、似非真理に依ってしまうと、毒ガスまで造って人々を殺害するという極悪犯罪を犯してしまうこととなる。
大釈迦の教えは、まことの真理の教えである。
しかし、釈迦の教えを説くためには、次の金言を守らなければならない。
『如来(にょらい)の室に入り、如来の衣(ころも)を着て、如来の座に座って説け。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心これなり。如来の衣とは、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心これなり。如来の座とは、一切法空これなり。』
大釈迦の最高の教えは第一義空である。
この空の義を熟知し終わった者でなければ、釈迦の教えを説くことは出来ない。
一切法空とは、絶対者とは、唯、真理のみとの意である。
人間は人格の未完成な存在である。人間の中に絶対者などいない。
絶対者とは、唯、まことの真理のみである。絶対的まことの真理は、久遠の彼方にあるものであろう。しかし、これに向かって進む以外にまことの進歩の道は無い。
まことの真理に向かって延びる螺旋(らせん)階段を、試行錯誤を重ねながら一段、一段と登っているのが我々人間なのである。
この道こそ、まことの自由があり、まことの平和がある。
真実を報道し、人々を、このまことの道に導くことこそ、新聞の根本的使命でなければならない。
明治天皇御製
いかならむ
ときにあふとも人はみな
まことの道をふめとをしへよ
(興亜観音を守る会会員)