興亜観音例祭と総会に出席して 長塚 国雄 |
前夜から降り続いた雨が都合よく止んで、からりと晴れ上がった青空に、伊豆山の新緑がくっきりと美しく映えていた。
丸一年ぶりに登る急勾配の興亜観音参道は広く整理されて、太い孟宗竹をつなぎ合わせた手すりが体裁よく上手に出来ていた。
地元のボランティアの人達が、転落防止にと作って下さったとのことで、観音さんへの関心の表れだと心暖まる思いがした。
濃い淡い紫色のミヤコワスレの花が参道沿いに植えられ、木もれ陽の中にひっそりと美しく咲いていた。
慈愛に満ちた眼差しで、熱海の海のはるかかなたをみつめて立つ観音様、七士の碑、戦没者碑に合掌礼拝して本堂へ進むと、改修されたステージはもう先着の参拝者でいっぱいであった。
午後1時定刻、守る会から興亜観音へ寄進があり、続いて供養の読経が始った。
照りつける太陽の暑さはもう真夏、きっと25・6度は越しているだろう木陰が欲しい。
参道の拡張、ステージその他の改修等々、一連の難工事を完成された役員、関係者の人達の大変な苦労を思考し感謝する中に読経が終り、参拝者へのあいさつがあった。
昨年同様陸軍戸山学校流とか、気迫に圧倒される奉納の刀技が、徳富太三郎さんとその門下生の人達によって披露された。
総会会場の受付で貰った書類と小誌は、急逝された会員松吉基順さんを悼む陸士同期有志の会発行文集であった。
総会は君が代の国家斉唱で始まり、続いて守る会に献身的に奉仕し当然亡くなられた松吉さんのために黙祷(もくとう)を捧げた。
第一第二議案及び会計報告も全員一致で了承され懇親会に移る。
会合の度にいつも元気な張りのある大きな声で、「お待たせいたしました。それでは只今から・・・」と名司会をつとめ、懇親会に入ると来賓、同僚新会員のテーブルを回っては、和と親睦に誰にでも話かけられた松吉さんの姿がないのはやはり淋しい。
乾盃のあと小誌を読んだ。
会長の別れの歌、陸士同期性、故郷の友、菩提寺住職の弔辞どれも親友の永別の悲しさに、すすり泣く響きある言葉が綴られ胸が熱くなった。
特に
松吉松吉なぜ死んだ
俺等を残してなぜ死んだ
みんながみんなが泣いてるぞ
と同期の諸氏をあげ、みんなで心で泣いているぞの詩には、純情な男達の真に悲しむ哀別の情が行間に溢れていて涙した。
これは祖父(徳富蘇峰先生93歳時)の作ったもので、
俺の恋人誰かと思う
神の造りた日本国
という歌が披露され、田原坂の歌曲風に力強く吟じられた。
みんなはウーン全くその通りだという面持ちでうなずきしばし拍手が鳴り止まなかった。
松吉なぜ死んだ・・・はお孫さんの詩でやはり小さいころからの薫陶であろう。
神の造りた日本国は、日本の国体は天壌無窮天皇を中心とした神の国であるという意味で、日本人ならみんなそう思っているはずである。
それなのに先達って森首相が同じことを言ったと、次元の低いマスコミが書きたて、野党は選挙の具に追求する騒ぎは、国民感情を考えない全く愚かという外はない。
今年も京都から田中正明門下、歴史修正協議会の頼もしい青年2人が来会した。
いつまでもさまよえる国民の覚醒を促し、世直しのため誤った歴史観を正そうと講演会を企画開催し、講演内容をビデオに収録、本に纏(まと)めて出版するなどその活動振りは目覚しく、国家のために実に有り難い存在である。
盃を交し合いうれしそうに会長も話がはずんでいた。
損得利欲なき憂国の士の集まりは明るい雰囲気でさっぱりしていて実に気分がいい。
お互い話がはずんで時間の経つのも忘れたころ閉会のあいさつを聞く。
ではお元気で又会いましょうと、さわやかな五月の風の中を三三五五帰路についた。
(守る会々員)