久野春夫君逝く

徳富太三郎

 去る5月6日、本理事、運営委員、久野春夫君が脳梗塞で逝去された。
 3月の松吉君に続いて、又や有能な同志を失ったことは、本当に痛惜の極みである。
 同君は名古屋出身、予科士官学校では筆者と同区隊であり、極めて優秀、有能、誠実な区隊随一の模範的な将校生徒であった。
 戦後、陸上自衛隊に入隊、東部方面総監部通信課長、幹部学校教官、通信学校研究課長等の要職を歴任している。
 事務処理能力の抜群なことは、多くの人の認めるところであった。
 自衛隊退職後、富士通に入社、昭和60年、永野茂人氏(55期)の参議院立候補に伴い、選挙参謀となり、同氏当選後は、引き続き後援会の事務局長を勤めている。
 又、名幼会の事務局長も引き受けて、立派にその仕事をこなしている。
 而もその合間に、書道も尺八も見事に物にしている。
 有能にして、多芸、多才であった。
 本会発足にあたり、発起人の1人となり、理事、運営委員として我々と共に奉仕活動を精力的にしていた。
 「興亜観音を守る会」という名称を提案したのは、久野君であった。
 今から考えると、当時(平成5、6、7年)は、人には余り言わなかったが、病妻を抱えて悪戦苦闘中であったのだ。
 松井大将の養子問題、松井家の系図、親戚関係などは、久野君が自主的に調査した。
 この中には、本人のご意志より発表してないものもある。
 彼の一生を貫くものは、岡部大佐追悼録に彼自身書いたように忠節を尽くすことであった。
 誇り高い"さむらい"が又1人逝ってしまった。
 (本会理事、陸士58期)


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