誠実の人・天田達也君を悼む

手島靖一

 私の最も親しい友人の一人、天田達也君(守る会顧問、終身会員)が平成12年6月9日亡くなってしまった。
 享年77歳であった。
 天田君はその一生を「誠実」の一語で貫いた人であった。
 63年にわたる交りは、、将校生徒、青年将校、社会人と変化したが、どの時期を取っても、彼は見事な生き態を見せてくれた。
 東幼3年の時、彼は武装障碍物競争で転倒したが、咄嗟に銃を差し上げ、体を犠牲にして武器を庇い生徒監に激賞された。
 予科でも私は彼と同じ区隊だったが、彼は体をこわして57期に延期し、別の道を歩むこととなった。
 銃砲兵になった彼は牡丹江重砲兵連隊に所属し、ソ満国境の警備に当たっていたが、ソ連進行の僅か1ヶ月前に重砲校に転出、連隊長以下全滅に近い戦闘に参加せず生き残った。
 戦後の天田君は、社会人として立派な業績を挙げる傍ら慰霊に心を砕き、牡重会の中心となって再三現地を訪ね、奇しくも連隊長の遺骨を発見したのである。
 57期の代表幹事に推されるや、その慰霊巡拝を実行したし、沖縄にあった重砲十五加を靖国神社に奉納する事も、中心になってその衝に当り、奉納後毎年お祭を企画推進していた。
 軍服を着た期間は短かったが、天田君の一生は武人の鑑とも言うべきものであった。
 筆を取っていると、その温顔が鮮やかに浮かんで来る。
 謹んでご冥福をお祈りしたい。
 (本会会員、陸士56期)


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