興亜観音精神昂揚のために

興亜観音を守る会副会長
英霊にこたえる会会長

堀江正夫


 興亜観音が、支那事変最中の昭和15年、松井石根大将によって、本尊の左右に日華両国の戦没者の霊位を併置し、熱海鳴沢山中腹に建立開眼された趣旨と精神は、私もつとに大いに共感するところである。
 そしてこの興亜観音が、今日まで60年の長きに亘(わた)って、多くの人々の善意と篤志により、大将の遺志が脉々と継承され、特に伊丹氏ご一家の一貫したご献身を中心に、地元の皆様のご奉仕と、更に最近は陸士58期生を中核とする有志の皆様により、立派に維持整備されてきたことは、真に感激に堪えない。
 加えて境内に、松井大将等七士と、1068柱の殉国刑死の方々の追悼碑が建立されたことは、ここが名実共に興亜の大霊場、興亜の聖地であることを示すものであり、その意義は洵(まこと)に大である。
 支那事変から大東亜戦争に拡大し、遂にわが国は前古未曾有の敗戦を喫したが、戦後アジアの各地で欧米の桎梏(しっこく)から脱して、次々と独立国が誕生したことは、正に松井閣下の興亜への理想への道を切り拓(ひら)いたものであり、真に喜びに堪えない。
 同時に、独立のため、挺身身命を捧げた、多くの各国の戦没者に、心からの敬意を表すものである。
 しかし、私は真に興亜の理想を実現するためには、少なくとも次の2つの問題を、早急に解決しなければならないと考えている。
 その第一は、特に日中両国の関係である。
 共産中国となった以降の両国の関係は、洵(まこと)に異常である。
 一方的に多額の経済援助を続けるわが国に対し中国は、感謝どころか、特に過去の歴史認識問題で、執拗かつ傲慢な内政干渉を繰り返し、わが国がこに対し、その都度易々としてこれを甘受し屈服している実態は、真に目に余るものがあり、残念の至りである。
 このような両国関係からは、真の友好関係の実現も、相携えて興亜に力を尽くすことも、到底できうべくもないことは明々白々である。
 その第二は、わが国の殉国英霊に対する慰霊顕彰の問題である。
 国賓の他国訪問の際、戦没者慰霊施設にお詣りすることは、衆知の国際常識である。
 それは、そのことがその国に対する最高の敬意の表明であり、また、一命を国に捧げることは、人として至高の行為であり、敵・味方を問わずこれに礼を尽くすことが、人として当然かつ、自然の情の発露であるからである。
 しかしわが国の場合、戦後占領下から脱した後も、国の戦没者追悼の中心施設と明示している靖国神社に、国賓を迎えることを、厳に辞わり続けており、国賓の参拝は絶無に近い。
 加えて昭和61年以降は、中国の干渉に屈して、総理したがって天皇陛下の靖国神社ご親拝も途絶えた儘(まま)になっている。
 国のために殉(じゅん)じたご英霊を祀(まつ)る靖国神社に総理がお詣りもしない国、靖国神社に国賓を迎え得ない国に、どうして将来の栄光があるであろうか。
 松井閣下の興亜の精神の基本に、わが国の戦没者に対する、国及び全国民の敬仰慰霊があることは、言を俟(ま)たない。
 われわれは、以上の2つの問題の早急抜本的な解決に、相携えて全力を尽くしたい。
 同時に、引き続き新たな興亜観音の改修工事にも進んで協力したい。
 そしてこれらを通じて、興亜観音精神の昂揚(こうよう)に一同が一層努力することを心から念じてやまない。


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