パール博士写真像の受贈と奉額について

 表記について、去る4月に同台経済懇話会から山本卓眞代表幹事名をもって会員宛てに送付された文書の写しを、以下に転載します。

霊山護国神社境内に建立されたパール博士の顕彰碑
京都霊山護国神社内パール博士顕彰碑

[興亜観音改修工事への協賛並びに記念事業としてのパール博士像奉額について]

 本平成13(2001)年は、本会が中心になり京都霊山に平成9(1997)年11月20日パール博士顕彰碑を建立してから、5周年の記念の年となります。
 本会としては、建立記念日の11月20日、京都に於(おい)て何らかの記念行事を企画しておりますが、「興亜観音を守る会」から別紙(本稿では省略)のような興亜観音についての協賛依頼がありましたので、3月14日(水)幹事会において、表題の事務局提案を審議した結果、次のように決定いたしましたので、ご報告致します。(報告内容下記)
 パール博士顕彰碑建立五周年の記念事業の1つとして、東京近辺に於てパール博士の御英姿に接する場所がないので、興亜観音本堂の中に、パール博士像(写真)を奉額する。
 このことと併(あわ)せて、興亜観音の最終的改修事業に対し、同台経済懇親会並びにパール募金から協賛金***万円を寄進する。
 内訳は、同台経済懇話会***万円、パール基金から***万円とする。
 なお奉額の製作費(大型写真)については、別途パール基金のPR費から支出する。
 なお、この決定に基づき、興亜観音を守る会と打ち合せの結果、守る会側は大賛成であり、今年11月中に奉額することになった。(以下省略)
 東京裁判に関して、日本無罪論を主張し続けたパール博士の業績については、平成12(2000)年4月の会報第11号所載の「パール博士の正論に思う」の論塙に詳述されており、再説の余地はありませんが、5年前に建立されたパール博士顕彰碑の由来と内容の一部を以下に再録しますので、認識を新たにして頂きたいと思います。

 パール博士顕彰碑の建立

 パール博士の顕彰碑が京都・東山の霊山(りょうぜん)護国神社境内に建立されたのは、平成9(1997)年の11月のことである。
 同台経済懇話会(会長・瀬島龍三氏)が中心となり、予算5千万円で、日本が世界に誇る技術=セラミック(磁器に焼きつけた写真版)で、博士のお姿が、磨きあげられた半円の花崗岩(かこうがん)の中央に、浮き出るかたちで建立された。
 除幕式には、博士の長男夫妻が来日し、インドの大統領閣下からも鄭重なる祝電が寄せられ、インド大使も、日本の外務次官も、出席して、祝辞を述べられた。
 この背後の半円の花崗岩右側の壁面には、パール博士の判決文最後の予言的な名句が、墨痕(ぼっこん)あざやかに刻まれている。

 時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥(は)ぎ取った暁には、その時こそ、正義の女神は秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。

 そして左側には、英文でこの名句が刻まれている。
 記念碑の前に立つと自動的にパール博士の経歴と、法の真理を守った世界的な功績が、日本語と英語で解説される。
 この霊山には、明治天皇の命により、明治維新の多くの志士たちの遺体が祀(まつ)られており、坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像もあり、麓(ろく)には明治維新記念館もある。
 またこの霊山からの展望は素晴らしく、京都の街を一望に鳥瞰(ちょうかん)できる。 

 以上の経緯を踏まえて、運営委員会に於て審議した結果、来たる11月17日(土)、九段会館に於て開催する興亜観音を守る会創立7周年記念懇親会の場に於て、同台経済懇話会代表幹事から田中正明会長にパール博士写真像の贈呈・受領の儀礼を執り行うことといたしました。
 就(つ)きましては、守る会の会員諸兄姉は固より、同経済懇話会の会員諸氏にも、11月17日(土)14時30分からの九段会館に於ける興亜観音を守る会の懇親会に奮(ふる)ってご参加下さるようお願い申し上げます。
 なお、パール博士写真像の興亜観音本堂内への奉額については、殉国七士の53回忌の命日法要に合わせて、12月23日(日)13時から現地に於て奉祀供養を行うこととしておりますことを申し添えます。
 (守る会運営委員会一同)


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