国立慰霊施設の建設を阻止せよ
国家は人間の集団であるから自然的な永遠不滅体ではない。
「国家を組織する国民に国家を支えようとする意識がなければ、国家は存続し得ないのである。」(大石義雄博士)
「国民は国家の構成員として国家の存立を保持すべき義務を負担する。国家の興亡盛衰は一に国民の双肩にかかっているものといわねばならないからである。」(美濃部達吉博士)
それ故に、国家のために尊い一命を捧げた護国の英霊に対し感謝慰霊の誠を捧げることは、いかなる国家においても当然の義務である。
同時にそれはまた「すべての国民道徳的義務」(大石博士)でもある。
このような戦没者慰霊の中心的施設が靖国神社であることはいふまでもない。
それは「閣僚の靖国神社参拝問題に関する報告書」(昭和60・8・9)及び「内閣官房長官談話」(昭和60・8・14)にも明記されてゐる通りである。
昨年、小泉首相が8月15日の靖国神社参拝を確約したのも、このやうな英霊追悼の赤心から発したものと思はれる。
しかし残念ながら、首相は公約に違反して参拝期日を繰り上げただけでなく、その際に国辱的談話を発表した。
そこには英霊に対する感謝、追悼の言葉はなく、戦争に対する「反省」と違約の弁明に終始した上、最後に「内外の人々にわだかまりなく追悼の誠を捧げるのにはどのようにすればよいか、議論をする必要がある」との重大な文言が加へられていた。
これを受けて、福田官房長官は12月14日、官房長官の私的懇談会として、「戦没者追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の開催を発表、今井経団連会長を座長とする十名の委員により19日に第一回の会合を開いてゐる。
そしてこのやうな施設について設置の必要性や名称、場所などを議論していくと言ふ。
戦後、占領軍の強制によって靖国神社は「別格官弊社」から一宗教法人に変身させられた。
従って戦没者慰霊のための「国家施設」は今日存在しない。
だからと云って「国立慰霊施設」の建設の可否を検討する必要がどこにあるのか。
今日でも靖国神社が全国民戦没者慰霊の中心的施設であることは、疑問の余地のない厳然たる事実であるからである。
そもそも「内外の人々がわだかまりなく」といふが、戦没者の慰霊は日本国民が行ふべきものであって、外国人に参拝して貰うためのものではない。
また記念碑といふが、単なるコンクリートの碑にどうして英霊が鎮まり給ふことができるのか。
慰霊の対象は靖国神社の御祭神と同一か否か。
違うのならばその基準は何か。
その施設に対し国として警備、護衛を含めいかなる儀礼を尽くす積りか。
疑問は限りないが、明白なことはどのような内容にせよ、この種の施設が建設され、そこで公的行事が行われるようになれば、それは必ず靖国神社と競合し、その御存在と矛盾するといふことである。
このやうな施設の建設は、日本国民として到底許すことはできない。
靖国神社は明治2年、明治天皇の思召によって「東京召魂社」として創建されて以来、護国の英霊二百四十六万余柱が合祀され、国民崇敬の的として参拝者は年間六百万人を超えている。
皇室の御尊崇また驚く、春秋の例大祭には勅使を御差遣になり、幣帛を奉呈して御祭文を奏されてゐる。
過ぐる大東亜戦争に於ても、出撃に当って交はされた言葉は、「靖国で会はう」であり、愛児への遺書は「父に会いたいときは九段にいらっしゃい」であった。
今こそ我々は中学三年生の岩田君の言葉に耳を傾けなければならない。
「この靖国神社の存在が眞向から否認され、その存在が日本人から忘れ去られてしまったそのときこそが、日本文明終焉の秋なのではないか。」
(「靖国公式参拝の総括」読後感想文)