靖国神社に「国民祖霊社」を

宇井 豊
守る会会員、陸士59期

 本誌に靖国神社のことでも良いから書く様にとのご依頼があり、日ごろ念じているところを申し上げて皆様のご賛同とご協力をお願いしたいと存じます。

 私は、英霊の志が末永く語り継がれて、鎮魂の祈りが永遠に継承されることを祈念し、靖国神社の境内に国民祖霊社(假稱)という末社の健立を願って、今関係方面に働きかけています。
 終戦を満州の飛行場で本土決戦のための操縦訓練中に迎えた私は、戦後医師の道に進み現在に居たっていますが、今なお「先輩に続いて捨てるべき命を生き長らえてしまった」との思いが心に沁(し)みついており、「いくら遅れても英霊との約束を忘れることはできず、英霊と無縁に成佛(じょうぶつ)してしまうわけにはいかない」との思いがいよいよ強いのです。
 以前、私は靖国神社の境内に小祠を新たに建立して、奉賛会会員の死後を「英霊に続くもの」と認めて祀って頂きたいとお願いしたことがあり、諸先輩から「尊い英霊が祀られているご本殿のみで充分、その他のものは一切不要」と総反対された経緯があります。
 その後、かつて国から派遣されてPKOの任務遂行中に3人の方が殉職されましたが、この方々を靖国神社にお祀りしては―――と先の先輩方に伺ったところ、今度は「当然のこと」とご賛意を頂きました。
 ところが、電話で接触したご遺族の夫人は一考もなく「靖国神社なんてとんでもない」と峻拒(しゅんきょ)された。
 キリスト教信者で護国神社のご祭神から肉親の名を除いて欲しいと裁判になった例は知っていたが、自ら決意してPKOの活動に参加された方のご夫人のお答えであるだけに、私の受けた驚き、嘆きは大きかった。
 さて靖国神社は、郷土の氏神様ではなく、国家、全国民の安泰と繁栄のための氏神様、即守護神であって頂きたい。
 かつて同神社の松平宮司は「国民総氏子運動」を唱導されたが定着しなかった。
 そして、日本の伝統文化の崩壊、国民と言うより市民と言いたがる人々の増加など、国民精神と国家意識の衰退に拍車がかかった。
 今にして国民が覚醒して失われようとしている日本文化、精神構造を早急に再構築するためには、この際「国民祖霊社」を創建して全国民の死後の霊を祀ることが重要で、それによって英霊の志は語り継がれ、鎮魂の祈りを継承することが保障されると私は信じます。
 靖国神社は、英霊を象徴として国民を守護し、世界平和を祈念するための国民精神統合の場となります。
 今のままの靖国無視、軽視が続けば、国のために命を捧げる国民はいなくなります。
 さて、さる2月、熊本市での学会出席のおりに、靖国神社前宮司大野俊康氏が名誉宮司、ご子息が宮司をしておられる天草島総鎮守、本渡諏訪神社を訪ねました。
 同神社は、元寇のとき国を守護し得たことを感謝し創建されたのですが、伺って驚いた。
 歓喜した。
 私の念願である「国民祖霊社」の雛型とも言えるお社が既に存在していたのです。
 ときは遡(さかのぼ)って昭和24(1949)年の靖国神社秋季例大祭の当日、天草島総鎮守のこの神社に氏子戦没英霊を合祀する「御霊(みたま)神社」を建立創祀されました。
 次いで平成8(1996)年12月、御霊神社内に「氏子祖霊舎」が創祀、奉斎されたのです。
 以来、氏子の死後はすべてこの祖霊舎に祀られています。
 ご本殿参拝所の側面の扉を開くと正面が御霊神社。
 同神社と氏子祖霊舎の神鏡が2つ並んで鎮座されています。
 私の願う靖国神社への国民祖霊舎と氏子祖霊舎は、少し形は違うが、原型はここ天草の護国神社にはすでに実現していたのです。
 私の故郷、山口県萩の松陰神社には、門下生を祀った松門神社が以前からあり、全国の護国神社の中には崇敬者を祀る氏子祖霊社のようなお社が創建されているところがあると聞いています。
 と、すれば、私の国民祖霊社建立のお願いは諸先輩からお叱りを受けるほど不謹慎な発想とは思われません。
 昭和天皇のご聖断により終戦と決まったとき、阿南陸相は鈴木総理に「私は易き死を選びます。総理には生き残って、難しい方の終戦処理と復興をお願いします」と言って割腹され靖国の祭神となられました。
 私はこの鈴木総理を筆頭に、以下戦後の苦難に耐え、祖国復興のために生き抜いて働いた復員将兵、遺族、空襲被災者、シベリア抑留者、傷痍軍人、戦後の制度改革で先祖伝来の田畑や名誉(爵位など)を失った人々、そして悲惨な境遇に陥りながら国に何の請求することもなく世を去りつつある多くの国民、英霊に「後に続きます」と誓いながら生きのびて戦後復興の最先端を走り続けた我々。
 これらの人を、「英霊に続くもの」として靖国神社に国民祖霊社を創建し、人霊として祀(まつ)っていただけないだろうか。
 英霊は本殿に、本殿に祀られない戦没者は鎮霊社に、それ以外の国民は総て国民祖霊社に―――というのが私の念願であります。
 ここに触れた鎮霊社は靖国神社の末社であり、国境を越えて全世界の戦没者の霊が祀られています。
 もちろん、日中戦争の中国兵戦死者も丁重に祀られています。
 にもかかわらず、中国は日本の総理大臣が靖国神社に参拝することを非難するのです。
 我々が崇敬する興亜観音も、銃火を交えて亡くなった日中両軍兵士の鎮魂のために建立されました。
 健立者、松井石根大将の両国の戦死者を平等に悼(いた)む心は、広大無辺の日本神道の精神そのものであり共に日本古来の伝統文化であります。
 世界中の人々が日本の伝統文化を理解し、思想、信条、宗教、国家、民族の相違を超えて理解し合い、尊敬し合うようになった時に世界平和は達成します。
 そこで始めて大東亜戦争を戦った英霊の志は達成され、英霊の鎮魂が成就します。
 この世界平和は、武力によるものではなくて、その主役は一般国民であり、軍人ではありません。
 「国民祖霊社」建立の重要性がお判りいただけたでしょうか。
 そして興亜観音の精神も全く同じ文化で、まさに靖国神社―――鎮霊社と固く結びついております。
 熱海にいます興亜観音を想望して合掌。

 付記 

 本渡諏訪神社参拝後、熊本県護国神社にも参拝した。
 「英魂不滅―大野俊康」の扁額のかかる遺品室には、実に多くの英霊の戦場での遺品が陳列され、手に触れて拝見し、遊就館、知覧特攻記念館とはまた別の深い感銘を受けました。


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