中国への逆襲一つの試み

昭和の戦争記念館編集長
名越ニ荒之助

 日本は首相の靖国参拝や教科書の記述に対して、中・韓両国に気兼ねし、迎合する国になってしまった。
 これでは独立国とは言えず、本誌の読者も憂慮しておられることと思う。
 そうした中で努力している人がいる。
 「日本クラウゼウイッツ学会」の郷田豊氏(陸士60期)である。
 氏はドイツとの交流を重ねながら、一方では北京の「国際戦略研究所」や「外交学会」「人民解放軍国防大学」等で、過去6回にわたって突っ込んだ話し合いを続けてきた。
 話し合いを進めるに当たって、
 
「歴史認識は国によって違う。多様な相違点を相互に理解することによって、成熟した歴史観を育てることが出来る」

 という点で合意していた。
 昨年11月、合田氏が団長となって、日本側から19人が訪中した。
 19日には明星大学の藤岡寛次氏が、「戦略研究所」で発表した。
 氏には「中国・韓国歴史教科書の徹底批判」(小学館文庫)という著書(7万部)がある。
 氏はこの書の近現代史関係のエキスを呵責なく述べた。
 終わると中国側から反論があり、ちょっとしたフェンシングが行われた。
 閉会に当たって両国の議長は、「気付かない点を指摘しあって有意義であった。今後も続けていきたい」と締めくくった。
 21日は、国防大学で私が発表した。
 中国側は少将と大佐級の教授が十数人。
 彼らは駐在武官や外交官の経験者が多く、話しやすかった。
 それに学内の電柱には、孔子や孟子、韓非子、孫子等、中国古典の名句が掲示されていたし、会議棟の入口には、論語の「子曰有朋自遠方来不亦楽乎」(友有リ遠方ヨリ来ル亦楽シカラズヤ)の横額が掲げられていた。
 (彼らは「批林批孔」や「毛沢東語録」にはうんざりしていて、中国5千年の伝統に回帰したいという意識が根強いことが、あとの懇親会で判った)そういう雰囲気の中、私は次の3点について、写真資料を中心に話した。

  1. 東アジア(日・中・韓・台)は、儒教、仏教、道教のように、共通した歴史遺産を持っている。EUが一つにまとまりつつあるように、東アジアも文化遺産の共有性に目覚めれば、全体の安全保障に繋がる。
  2. 日本人は太古以来敗者を悼(いた)み、敵の戦死者を弔う民族である。南京陥落後には「戦歿支那陣亡将士公墓」を建て、各地に「中国無名戦士之墓」を造り、部隊による慰霊祭を行った。例としてこれらの写真や、「興亜観音」「靖国神社のパンフレット」を配布した。それに較べて、中国の方は易姓革命の国だから、政権が代われば過去を全否定する。「池に落ちた犬を叩く」。秦桧(じんかい)も汪兆銘も「漢奸」として裸像を造り、唾を吐きかけるように、教科書でも教えている。
  3. 戦後南京の戦犯裁判で、向井敏明、野田毅(百人斬)、田中軍吉(三百人斬)の3人は無実の罪で銃殺された。それでも彼らは中国を恨まず、「中国万歳、日本万歳」の遺書を書き、「日中友好万歳」を叫んで射殺された。私が3人の遺書や銃殺時の写真を示すと、中国側は愕然とし「知らなかった。3人は立派だった」と洩らした。さらに私の発表に対しては「日中の祀り方の相違を映画にしよう」と提案してきた。質問としては「A級戦犯分祀問題」があった。私は「あれは不当な極東国際軍事裁判がつくったもので、取り挙げない方が中国の為だ」と答えておいた。

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