興亜観音の根本的精神について

徳富太三郎氏近影

興亜観音を守る会理事

徳富太三郎


 支那事変に於ける戦没者を、敵、味方、勝者、敗者の区別無く、怨親平等に弔慰する為に、昭和15(1940)年、松井石根大将の発願により、興亜観音は開基せられた。
 味方の戦没者は勿論(もちろん)、敵の戦没者を弔(とむら)う事は、当時の日本軍では当然の事であり、又、我国武士道の伝統として、数多く行われていた。
 この敗者の慰霊を行うことは、勝者が敗者の怨霊を怖れていたという一面もあるが、根本的には、人間の魂に対する畏敬の心である。
 戦の原因は、多くの要素があるが、突発的事件に伴う誤解、認識不足が多い。
 しかし乍(なが)ら我日本が戦った戦いは、私利私欲、怨念嫉妬がその原因では無い事を、証明しているのが、この敗者に対する慰霊である。
 凡(およ)そ戦をする者は、正義を主張し、平和の為である事を訴える。
 若しそれが本当ならば、戦が終わってから敵軍の戦没者を弔慰(ちょうい)する事は、当然である。
 松井大将の主張せられていた「大アジア主義」は、大東亜戦争敗戦により破綻した。
 「利鈍言う事莫れ興亜の事」と述懐された事は寔(まこと)に痛恨の極みである。
 あれから半世紀、果たしてどうであろうか。
 「大アジア主義」とは、その根本的精神に遡(さかのぼ)れば、「白人と有色人種が対等になること」である。
 歴史的に極めて忌(いま)わしい侵略、搾取、蔑視、横暴を是正する為、大東亜戦争は聖戦であった。
 白人の優越主義を打ち砕く為の一大劇薬であった。
 その効果があって、白人の有色人に対する認識は確かに変わった。
 黒人が米国の国務長官になる時代である。
 白人の深層心理はいざ知らず、少なくとも有色人種の国家が多数独立し、能力と努力が伴えば、黒人にも機会は平等に与えられるという時代である。
 この考え方は、正に「大アジア主義」の精神的実現(の一部)に外ならない。
 勿論、国際情勢は極めて複雑であり、共産党と言う別の意味の劇薬の存在意義も大きい。
 「大アジア主義」の実現を目指したという意味で、又之が、開戦の詔書通り我国自存自衛の為と言う大目的と連立した目的であったとしても、大東亜戦争は聖戦であった。
 その序曲としての支那事変も聖戦であったのである。
 聖戦なればこそ、その原因は私利も無く私欲も無い。
 況(いわ)んや怨恨、嫉妬などあろう筈は無い。
 支那の民衆は愛すべき人達である。
 唯、その指導者の誤りにより、戦を交えざるを得なかったのである。
 痛恨の極みである。
 国によって歴史認識をめぐって論争になると、両者は交わる事は無い。
 双方の戦死者を祀(まつ)る事によってのみ共感の輪は拡がるのである。
 之は名越二荒之助先生の言葉である。
 大東亜戦争は破れはしたが、「大アジア主義」は、形はいざ知らず、根本的精神は生き続けている。
 興亜観音の崇高な存在意義を再認識し、永久護持する為に、努力する心算である。


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