事務局だより

 あとがき

 昨年暮れ頃から今号の原稿が集まり始め、割付案も大方固まっていた本年になって、二つの出来事が続けざまに起きてしまいました。
 1月19日の丹羽理事の死去と、2月11日の田中会長辞任申し出です。
 そのため編集に不手際が生じた点はご容赦願いたいと存じます。

 今号の巻頭言は、田中館貢橘先生の玉稿を頂きました。
 同氏は、明治・大正・昭和に物理学者としてだけではなく多方面で事業を多く挙げられた田中館愛橘先生の後裔に当たる方で、東京都教師会常任理事を勤めらる傍ら音楽家としても活躍されています。
 「我等、今、何をなすべきか」と、日本の現状に厳しい筆致で問いかけられている文章は、読む人の肺腑を衝くものです。

 当会の理事で近現代史研究家の阿羅健一先生の一文は如何でしたか。
 (南京を)訪れたことの無い小生にも、臨場感を覚えさせ、千羽鶴の描写には空しさ、腹立たしさを感じさせてくれました。
 阿羅健一氏のご著書「南京事件・48人の証言」(小学館)をぜひお読み頂くようお奨め致します。

 当会では、既存のしおり他に、若者にアピールする会員勧誘用のパンフレットを作りたいと考えていましたが、再び長田達三理事の手をわずらわし、B5版4ページのパンフレットを製作しました。
 その中には申し込み用の「払い込み振込み票」が付いており、切り離して使えるようになっています。
 会員拡大に役立てて頂きたいと存じますので、必要の方は遠慮なく事務局までお申し出下さい。

 昨年(平成14年)12月23日は、松井大将が非業の死を遂げられてから54年目のご命日です。
 他の殉難刑死者と合わせた遺灰がここ興亜観音に葬られていることは、「興亜観音・第16号」の伊丹忍礼師の再録記事に詳しく掲載されています。
 この経緯は意外と知られていません。
 愛知県の三ヶ根山の「殉国七士の墓」が最初に作られた墓だと思っている方が識者と言われる人の中にもいることを正して頂くためにも、先号(第16号)の記事は良い企画でした。

 その(平成14年12月)23日、興亜観音には関係者40名が集まり、青井秀山師、伊丹忍礼姉妹の読経の中、松井大将を始めとする七士の法要がしめやかに行われました。
 そのあと工事関係者、運営委員会らで改築となった庫裏の竣工法要も行いました。

 (奈良)


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