訃報 丹羽肇理事

 かねてから闘病中だった本会理事、丹羽肇氏(陸士58期)は、去る平成15年1月19日肝不全のため死去されました。
 享年77歳でした。
 1月20日に葬儀が渋谷区の雲照寺において行われましたが、参列者はひきもきらず生前の氏の人脈の広さと、そのお人柄を偲ばせる盛大なものでした。
 故丹羽肇氏は、本会発足にあたって最初から参画され、会員の拡大から始まり、本会の理事・運営委員としての精励ぶりはもとより、公認会計士の力量を発揮して宗教法人としての運営面指導にも抜群の業績をあげ、伊丹姉妹や法人役員からも全幅の信頼を持たれていました。
 数年前、肝臓ガンと診断され、入院してガン細胞を抑える治療を繰り返すこと七度、その都度退院しては変わらぬ様子で会の業務を勤められました。
 また、シベリア抑留者のエラブカ会の慰霊巡拝に団長として何度も参加されたり、フィリピン・ベトナムにも足を運ばれています。
 昨秋11月16日の「創立八周年懇親会」にも出席され、参加者とにこやかに懇談されていたのは、皆様の記憶にあると思います。
 12月に入ると病状が、にわかに重くなり、八度目の入院。
 正月は自宅で、との願いも空しく、竹子奥様、義弟・山口信夫氏(現商工会議所会頭・士58期)などに見守られながら、遂に還らぬ人となられました。
 死と直面しながら、恐れを一切おもてに出さず、会の運営を始め世直しの事にも尽くされた丹羽氏の死は、あたかも、野戦病院で治療を受けては前線に戻って敵と戦い、遂に力尽きて壮絶な戦死を遂げられた第一線の指揮官の姿とダブって見えたと言う人がいましたが、まさに言い得ている感じがします。
 葬儀に寄せられた数多くの弔電の中から、名越二荒之助氏の和歌に託した弔文をここに紹介します。

 日の本の いのちを生きし

  ますらをは

 天掛けりつつ 御国護らん

 あらためて心からご冥福をお祈り申し上げます。
 葬儀では、陸士58期同期生、板垣正氏と松木佶氏の弔辞が奉呈がありましたが、広島陸軍幼年学校から今日まで六十数年苦楽を共にした、松木佶理事の一文を掲載して、故人を偲びたいと思います。

 終生の畏友 丹羽 肇兄の御霊にお別れの言葉を申し上げます。
 思い起こせば尊兄とのお付き合いは、昭和十四年三月二十七日、逐次近づく戦争の足音を感じながら前途に無限の希望を抱きつつ広島幼年学校の校門をくぐった時に始まります。
 それから六十五年、予科士官学校を経て航空士官学校へ進み、所沢・館林両飛行場戦闘機操縦者としての基本訓練を受け、北鮮の連浦で一日も早く空の戦士として戦場に馳せ参じようと練成訓練に勤しんでいる時終戦の詔勅を拝し、涙を飲んで矛を納めて心ならずもソ連に抑留され、百余人の同期生と共に欧露カザン近くの古都エラブカで苦難の収容所生活を余儀なくされました。
 目を閉じれば、作業列の中に交じってどちらかといえば華奢な君が重い麻袋を背に歯を食いしばって過酷な荷役に取り組んでおられた姿が目に浮かびます。
 復員後君は大学に進み公認会計士の資格を得て実業界に、私は航空自衛隊にと道を分かちましたが心は一つ、現業を離れて再び色々な会合やイベントで行動を共にすることになり、何かにつけ君にお力添えをお願いすることになりました。
 そして君がこれほど立派なリーダー、常に頼り甲斐ある人物にした原点は何かと考えた時、入校以来先輩の指導のもと朝な夕な声高らかに歌い覚えた校歌の中にあることに思い至りました。

 「頭に戴く軍帽に 信義の腦を固むべし 身に纏いたる制服に礼儀の体を正すべし 質素は我等の身の錦 貧汚は我らの身のつづれ。 学びの窓に積む雪は やがて我等の知識なり 国の品位を高むべく 国の文化を進むべく つとめて積めよ窓の雪 国の光は身の光」
 《広島陸軍幼年学校旧校歌四番・五番。以下七番まで続くが省略します。》
 
 君は、この歌の教えのままに挙挙服膺、誠実一路の一生を顕現されたのではないでしょうか。
 明治のそのころ国の品位を高め、国の文化を進展させるために勉強せよと、格調高く武学校の校歌に盛り込んだ学校当局の見識は立派なものであり誇りに思いますが、当時、純真な私たちはこの校歌を歌い継ぐうちに、山下奉文、阿南惟幾、岡部直三郎、山脇正隆、木村兵太郎ら多くの名将軍を輩出したこの幼年学校の伝統の継承者としての心積もりを感得し、君のような立派な後輩が育ったのではないかと思います。
 人の命には軽重はありませんが、一面愚直とも言える君のような誠実な人物が今、一番大事なのでは無いかと思います。
 何としても、もう少し生きていて欲しかった。
 そして、世直しに大正男の心意気を示して頂きたかったと悔やまれてなりません。
 しかし逐次、むしばむ病魔に敢然と立ち向かって、手術克服の記録を作ると、最後の瞬間までたじろぐことの無かった君のご遺志は及ばずながら私ども盟友が力をあわせ成就させる所存でございます。
 君もって静かに暝せられよ。
 そして、最愛のご伴侶、竹子様に限りなきご加護を垂れさせ給わらんことをお願いしてお別れの言葉といたします。
 平成十五年一月二十一日
 広島陸軍幼年学校第四十三期生代表 松木 佶

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