会員倍増にご協力を!

徳富太三郎理事、近影

 お陰さまで、昨年、興亜観音を守る会は発足以来、満八年を向かえました。
 しかしながら役員の多くの年齢は喜寿を超え、残念ながらも会員にも鬼籍に入られる方が増え、会員数は減少しつつあります。
 それらの方々に代わる若い世代の増加を図らなければ、本会は自然消滅せざるを得ないことは自明の理であります。
 会員一人が新会員一人以上を勧誘して獲得すれば・・・と言葉で言うのは簡単ですが実際には難しいことは良く承知しております。
 その実現を図るためには、一にかかって私ども会員が、本会維持に対しての強い信念を持つ事であると信じます。
 会員の皆様方には釈迦に説法とは存じますが、強い信念の拠り所として、更めて興亜観音の存在意義を少し考えてみたいと思います。

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 支那事変を含む大東亜戦争は、崇高な意義を有する「聖戦」でありました。
 コミンテルンの野望、ルーズベルト、チャーチルによる謀略挑発など、様々な原因が論ぜられておりますし、そのような一面があったことは確かでしょう。
 しかし、大東亜戦争の根本には、わが国の意志、即ち国策としての「大亜細亜主義」実現のため、という意義が厳然としてあったことを忘れてはなりません。
 「米英ニ対スル宣戦ノ詔書」に、「抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スル」のが日本の国交の要義と述べられています。
 その根底には、アジアの諸民族の白人支配から脱却、解放があり、白人の持つ有色人種差別に対して一大鉄槌を加えようとしたのが、大東亜戦争でありました。
 現今のいわゆる進歩的文化人は、これを無謀な戦争だったと言い、それのみか、日本からの侵略戦争だったと内外に言い触らしている始末です。
 当時の日本人は、全国民あげて開戦に感動し悦びました。
 また、緒戦で東南アジアから白人勢力を一掃し、インドネシアを始めとする欧米の植民地であえいでいた民衆たちが解放を心から喜んだことを、わが事のように祝福しました。

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 興亜観音の参道を登って行くと、新設された駐車場の横の竹林脇に大きな自然石の石碑があります。
 松井大将揮毫(きごう)による「施無畏」という文字が刻まれています。
 施無畏とは何者をも畏(おそ)れない心の施しであり、全世界を相手に、アジア解放のため死力を尽くして戦った大東亜戦争こそ、施無畏の心に基づく戦いであったと言えましょう。
 わが国のみが為し得た誇り高い戦いであります。
 松井大将は、興亜観音を建立することにより、「怨親平等」と共に「無畏」の心を後世に伝えようとされたのです。
 大東亜戦争は戦い我にあらず敗れましたが、我が国の主張の正しかった事は、戦後年を経つごとに実証されて来ました。
 アジアの植民地はことごとく独立を果たし、その波は遠くアフリカにも及びました。
 人種差別も目に見えて少なくなりました。
 「大アジア主義」の最終目標は、有色人種が白人と対等になることですから、この目標も少しづつ実現されています。
 長い目で見れば、形而上に於いては我が国は勝利したと言えるのです。
 施無畏の極みである戦死(法務死を含む)された方々の死は、決して無駄では無かったのであります。
 「怨親平等」は「正義」を、「施無畏」は「勇気」を示します。
 この「正義」と「勇気」こそは、かつて我が国が誇った武士道精神の中核を為すものであり、今後とも我が国が道義国家として全世界に重きを為すに当たって、欠くことのできない最も重要な徳性であります。
 翻って我が国の現状は、三島由紀夫が概した如く、「経済繁栄にうつつを抜かし、国の本質を忘れ、国民精神を失い、本を正さずに末に走り、その場凌ぎの偽善に陥り、自ら魂の空白に落ち込んで行く」態たらくであります。
 確かに表面はその通りであります。
 しかし、真正の日本人の心の内には、大なり小なり「正義」と「勇気」が深層に流れているはずです。
 私どもはこれを信じています。
 この心を後世に伝えるため、興亜観音を守っていこうとしているのであります。
 私ども一人一人が、最後のご奉公として、自分に代わる若い人たちに入会するよう依頼し、説得し、懇望し、推薦しようではありませんか。
 誠心誠意、絶対の信念を以って当たれば、必ずそれに応ずる気鋭の士は出てくるはずだと信じます。
 会員の皆様のご理解、ご賛同と、ご協力、ご努力を、会長以下役員一同、心からお願いを申し上げる次第でございます。

〈文責・徳富〉


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