日本には「戦犯」は1人もいない!

田中正明


戦勝国に処刑されたA級14士も合祀

 小泉首相が8月15日の終戦記念日に靖国神社に参拝することを公約したことに対して中国と韓国が反発して、これを阻止すべく日本政府に対して再三抗議を申し込んできている。(注・執筆は平成13(2001)年7月)
 その第一の理由は、靖国神社は今次の悲惨極まりない侵略戦争を挑発し、実施した東條英機首相以下「A級戦犯」14名が合祀(ごうし)されている神社である。
 このような神社に首相たるものが公式参拝するとは何事か!というのである。
 合祀された14名の戦犯というのは次の方々である。
 極東国際軍事裁判(俗称・東京裁判)において、絞首刑の宣告をうけて処刑された東條英機首相以下、板垣征四郎、松井石根、土肥原賢二、木村兵太郎(陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、廣田弘毅(元首相)の7士と、A級戦犯として囚われの身で、未決・既決のまま獄死した、梅津美治郎(陸軍大将)、永野修身(陸軍大将)、平沼騏一郎(元首相)、松岡洋介(元外相)、東郷茂徳(元外相)、白鳥敏夫(元イタリア大使)の7士とあわせて14柱を、昭和53(1978)年10月、(昭和)天皇陛下に上奏して、靖国神社に合祀したのである。
 「靖国神社はこれらのA級戦犯を合祀している神社である。このような神社に一国の総理大臣が正式に参拝するとは何事か!」というのが、中国・韓国代表の言い分である。
 不幸にして日本は大東亜戦争に敗戦したため昭和20(1945)年8月、アメリカ軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥の統治下に入った。
 それから約7年後、日本は連合国との間に講和条約(サンフランシスコ条約)を締結した。
 各国に賠償金等支払い、台湾等も放棄し、日本が国際的にも主権を回復し、独立国家として旧に復帰したのは、昭和27(1952)年4月28日のことである。
 この間マッカーサー軍司令官は、日本の憲法や教育基本法も改訂する一方、戦勝国家が敗戦国日本の指導者を裁く目的をもって「極東国際軍事裁判」なるものを開廷して日本の指導者28名を投獄して裁判にかけた。
 この裁判の検事・判事は各11名とし、すべて戦勝国の代表をもって構成した。
 戦勝国とは、米・英・仏・ソ・中国・オランダ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドおよび米の属領フィリピン、英の属領インドを加えて計11カ国である。
 敗戦はもとより、中立国の判検事もこれを除いた。
 その上マッカーサー元帥は、この裁判の法的根拠を含む「裁判所条例(チャーター)」まで作成した。
 裁判所条例によれば、本裁判の罪科は次の通りである。

 第1類   平和に対する罪   (訴因第1 〜 第36) 
 第2類   殺人の罪  (訴因第30 〜 第52)
 第3類   人道に対する罪   (訴因第53 〜 第55)

 この第3類・55訴因は国際法にも慣習法にもない罪科であることは言うまでも無い。
 しかもこの裁判は、昭和天皇の御誕生日である昭和21(1946)年4月29日を期して被告28氏を起訴しており、東條英機以下7名の絞首刑を実施したのも、今上天皇の御誕生日である昭和23(1948)年12月23日である。
 いかに天皇と国民との離反・反目を策した意図的な裁判であったかが見え見えである。

A・B・C級戦犯と21万人の公職追放

 マッカーサー元帥の日本占領政策の使命は「日本をして再びアメリカ及び連合国の脅威たらしめざること」であった。
 彼は昭和20(1945)年8月30日、日本占領のため政治顧問ホイットニー大将(のちGHQ民政局長)らを伴って厚木飛行場に乗り込んできた。
 彼は横浜のホテルに着くと同時に、東條首相以下の戦犯者名を読み上げ、これらの者を「ただちに逮捕、監禁しろ!」と命じた。
 9月2日には、東京湾の戦艦ミズーリ号艦上で、日本降伏文書の調印式が行われた。
 マッカーサー元帥は、今から約120年ほど前の嘉永6年、黒船4隻を率いて下田港にやってきたペリー提督の掲げた星条旗を、米本土からわざわざ取り寄せて、これをマストに飾った。
 日本降伏文書はこの旗の下で行われた。

 《ペリーから100年目、ようやく私が日本国の占領を果たした》

 というのがマッカーサーの思いであった。
 マッカーサーの東京裁判と併行して、「捕虜虐待」等の罪科でB・C級戦犯約5500名が逮捕され、横浜、上海、マニラ、シンガポール、ニューギニアなど東アジア各地で弁護士もいない形式だけの暗黒軍事裁判が開かれ、いい加減な審理で1068人が銃殺または絞首刑に処せられた。
 この戦犯処刑と「公職追放(パージ)」は第2次大戦の最大の特徴であったといわれる。
 一国の指導者を全部「公的な地位(パブリック・オフィス)」から追放して、新しい指導者と入れ替える。
 こういう思い切った措置は、今までの戦争には無かった、「革命的行為」であるといわれた。
 要するに日本から陸海軍の現役将校はじめ軍国主義者、民族主義者、国家主義等の団体に所属していた者及び村長・市長等の自治体の長、壮青年団の団長等、評論家まで含めてその総数は20万9千9百70人が公職から追放されたのである。
 その追放には7つのカテゴリーがあった。
 A・B・C・D・E・F・Gの7項目である。
 約21万人の人間が一切の公職から追放されたということは、敗戦直後の食糧難、生活難の時代に、21万人の人間が職を奪われ、格子なき“牢獄”につながれた訳である。
 私自身も「大亜細亜協会」に勤務して、アジア諸国の独立運動に助力したため、G項パージとなり、生活苦をいやというほど味わった経験がある。

6つに分かれた判決文とマッカーサーの悔悟(かいご)
ジョセフ・キーナン判事
ジョセフ・キーナン検事(上写真)
インド代表判事、ラダー・ビノード・パル博士
パール判事(上写真)

 東京裁判のキーナン主席検事をはじめ約40余名の判・検事中ただ1人、国際法の学位を持つ、国際法の権威であるインド代表判事、ラダ・ビノート・パル博士は、その判決文の中でこう述べている。

 「(※ホームページ作者注・マッカーサー)元帥が定めた『3類55訴因』なるものは、国際法にも慣習法にも全然関係無い『事後法』である。
 この裁判は、形態は裁判の形をとっているが裁判ではない。
 “リンチ”である。
 戦勝国が敗戦国に加えた復讐のためのリンチである。
 従って被告全員は無罪である」

 として無罪論を展開した。
 「事後法」とは、前に起きた事件を後から無理に法律を作ってこれを裁くことである。
 東京裁判がこれに拠(よ)ったため、判決は6つに分かれた。
 この裁判は次の6つの多数判事によって決定された。
 米・英・ソ連・中国・カナダ・ニュージーランドの6カ国の判事である。
 この6カ国の判事がこの裁判の主役であった。
 オーストラリアのウェップ判事は裁判長まで勤めたが6人組から外され、この裁判に対して不満を述べているし、フランスのベルナール判事は、「われわれ11名の判事が一堂に会して判決について相談したことは一度も無かった」と内部告発までしている。
 オランダのローリング判事は、廣田弘毅外相のオランダ大使時代の功績と平和主義をたたえ、廣田の死刑反対論を主張していた。
 フィリピンのジャラニラ判事は被告全般の重刑節を唱えている。
 一番まともな判決文はインドのパール判事の判決文である。
 6人組の判決文よりはるかに長大でる。
 約500年前の大航海時代から始まる西欧諸国の世界各地の侵略・略奪・殺害政策と、これに抵抗して立ち上がった日露戦争の日本の勝利と、それに刺激を受けたアジア、アフリカの民族運動。
 今度の戦争で日本は敗北したが続々としてアジアは独立するであろう――と権威ある歴史学者や国際法学者の論文を引用してアジア諸民族の独立解放運動と、日本の功績をたたえている。
 一方、東京裁判を創作し、支配し実施したマッカーサーは、2年後、「東京裁判はあやまりであった」とトルーマン大統領に告白している。
 しかもその後解任されて帰国後の米上院議院の公聴会で、彼は「日本が大東亜戦争に赴(おもむ)いたのは、自国の安全保障のためで、侵略ではない」と証言している。
 キーナン主席検事もこの裁判の失敗を認める発言を、裁判3年後に行っている。
 これに反して、この裁判の欺瞞性(ぎまんせい)を早くも看破して、全員無罪を判決したパール博士の法理論は、今や世界的な支持を得ており、国際法における戦争犯罪論の経典にまでなっている。
 博士は裁判後、国連の世界法学会の議長を勤められており、インド政府からは最高のナラリア賞を、日本政府からも勲一等瑞宝章を受けられている。
 今や国際法学会で「東京裁判を肯定し、支持する者など皆無といっても過言ではない。」

日本には「戦犯」は1人もいない

 前述の如く、東京裁判は終わり、連合国との間に講和条約(サンフランシスコ条約)が締結され、日本が主権国家として国際的に独立を認められたのは昭和27(1952)年4月28日のことである。
 独立と同時に日本国民の間に、連合国が勝手な「事後法」を作って、勝手にリンチを加えた、A級および多数のB・C級戦犯に対して同情の声が上がった。
 その翌年の昭和28年度の国会では、超党派の議員提案として、恩給法と給与所得法を改正し、戦犯と呼ばれたこれらの人々に、戦場における戦死者と同様に、恩給の資格ある者には恩給を給付し、入獄中の給与も支給した。
 獄中の死亡者や死刑囚らに対しては、これを「法務死」として、鄭重(ていちょう)に回向することとした。
 マスコミ等一般の公文章においては、これらの犠牲者を明治維新の時の、「明治殉難者」にちなんで、「昭和殉難者」と名づける事とした。
 この議案に異論を称える議員は1人も無く、共産党から社会党まで賛成し、満場一致で可決したのである。
 すなわち日本には「戦犯」なるものは1人もいないのである。
 政府このことを英・米等戦勝国連合国をはじめ、中国・韓国等東南亜諸国にも通達している。
 小泉首相が誰はばかることなく、8月15日の終戦記念日に堂々と内閣総理大臣の名をもって、2百50万の英霊静まる靖国神社に参拝するのは当然だ。
 中・韓両国から「A級戦犯が合祀されている靖国神社に、首相が参拝するとは何事か」の抗議があったら、前述の「日本には戦犯なる者は1人もいない!」と答えるべきである。
 英霊の祭祀は国家の根幹である。
 世界いずれの国家も、元首・総理が宗教こそ違え、国家のために殉(じゅん)じた英霊に対しては神として祭祀(さいし)している。
 中曽根首相が中国の干渉で靖国参拝を中止してから16年になる。
 それまでは歴代天皇も参拝を重ねてきたのである。
 今度の小泉首相の参拝は16年前の姿に帰ることになる。
 この度の教科書問題をふくめ、中華人民共和国の強要はわが国に対して精神的隷属を意図するもので、断じて屈してはならぬ。
 小泉首相の靖国参拝はある意味で日本の思想的変革の第一歩である。

 ※注・《この原稿は、田中前会長から当紙にご利用下さいとお送り頂いた数種の中の1つである。平成13年7月の月刊『大吼』に掲載されたものであるが、紙面の関係でかなりの部分を割愛させて頂いた事をお詫びしたい。省略その他の文責は編集者による》

靖国神社「みたままつり」に献灯される興亜観音提灯 田中正明前会長のぼんぼり
興亜観音の提灯は、毎年この位置に掲げられている 7月13〜16日靖国神社万灯みたままつりに今年も掲額された田中正明先生のぼんぼり

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