松井大将と興亜理念

興亜観音を守る会会長
板垣 正

 興亜観音は、松井大将の発願により、昭和15(1940)年2月、熱海・伊豆山に建立されました。
 わが国は、翌16年12月、大東亜戦争に突入しました。
 国を挙げて戦い抜きましたが遂に力盡き、有史以来の敗戦・占領の悲運に際会しました。
 占領は6年8ヶ月の長きにわたり、日本弱体化政策が徹底的に推進されました。
 悪名高い「東京裁判」と称する復讐劇を強行し、わが国侵略国家として一方的に断罪しました。
 憲法を押しつけ日本を無力化し、教育は歴史、伝統を破壊し、さらに徹底した言論統制のもとで「太平洋戦争」史観を新聞・ラジオを通じて鼓吹普及しました。
 占領政策に迎合する日教組や革新勢力、進歩的文化人等の活動と相俟(あいま)って、わが国の過去の歴史の贖罪視、自虐視を迫る洗脳政策は、大きな成果を収めました。
 その後、米ソ冷戦の激化に伴い、対日政策は修正され、冷戦終結後、日米関係は安保条約を基軸として、現在の同盟関係に発展し、まさに今昔の感にたえません。
 しかし、戦後体制の殘滓(ざんし)は、なお深刻な影響をとどめており、特に戦後教育で育った世代が、いま国家社会の責任的存在となり、その歴史認識が懸念されます。
 新世紀を迎え、きびしい内外情勢のもとでわが国の基本理念、基本的あり方が、改めて問われています。
 近年、「拉致問題」をめぐり、はじめて国家意思が明確に示され国論は盛り上がりました。
 また、今般、イラク復興支援のため、自衛隊派遣の決断をなされたことは、画期的なことで、日本及び日本人の存在感を高めています。
 いまこそ、戦後体制を脱皮し、憲法、靖国、国防、教育など、国の基本を確立し、日本国民の自信と誇りを取り戻すべき時です。
 松井大将と興亜観音を貫く真実の流れこそ、まさに日本の歴史の鑑(かがみ)と信じます。
 松井大将は、陸大トップの俊才ながら、一切、名誉や立身を求めず、郷土の先覚者荒尾精の精神を受け継ぎ、日支提携とアジア諸民族の復興のため、生涯を一貫されました。
 孫文の中国革命を支援し、蒋介石を庇護し、やがて日中和平のために中国要路と肝胆を照らし合い、大アジア主義の信念を貫かれました。
 終戦後、巣鴨の獄中で、興亜観音の名称変更について奉賛会の意向を告げられたとき、松井大将は、いつも柔和な面を朱に染めて激怒し、「何と言うたわけた事を言うか。改名しなければ存続させん、とでも米軍が言うのか!改名するくらいなら根こそぎ爆破して、相模湾の中にお鎮め申せ!」と一喝されたと伝えられています。
 まさに松井大将の本領発揮とも申すべく、興亜観音に込められたすざましい許りの迫力に、今なお胸を打たれます。
 総理の靖国神社参拝に反対し、中共にご注進に及ぶ野党幹部や、靖国神社から「A級戦犯を外せ」などと主張している元首相に、この松井大将の一喝を浴びせたい思いに駆られます。
 幾多の風雪に耐え、興亜観音を守るため、ご尽力いただいている皆様方に心から感謝申し上げる次第です。
 「守る会」が日本の歴史を正す国民的運動としてさらに大きく輪を拡げることを念願してやみません。


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