政治的謝罪と宗教的謝罪と
加地伸行

加地伸行大阪大学教授


 今年は戦後50年と言う。
 世の中、それを言い続けている。テレビも新聞も雑誌も。
 しかし、平成8年となったとき、人は戦後51年として話題にするであろうか。おそらく、そういうことはあるまい。人間とはそういうものである。
 一時は熱狂的になりはするものの、やがて熱狂は冷え、その話題はいつしか忘却の彼方へと消えてゆく。
 だから私は、人間や世の中の忘れっぽさに対して、それほどは腹をたてないことにしている。
 いちいち腹を立てていては、こちらの精神も身体も持たないからである。
 あえて言えば、「言っても分からない者には言っても分からない。言わなくても分かる人には言わなくても分かる」という真理があるのみである。私が興亜観音のことについて知ったのは最近のことである。
 もちろん興亜観音が松井大将と深い関係があり、その意味については、知る人ぞ知るということであろう。しかし、私は興亜観音に託(たく)している松井大将や興亜観音を守る会の気持ちと同じものを各地に見るからである。
 すなわち、無念のままに難死された方々に対する慰霊の気持ちの表現である。
 知覧にある特攻観音がそれであり、沖縄、南方諸島の戦没者への諸慰霊碑、さらには広島にある原爆関係の諸慰霊碑がそれである。
 これら諸記念碑に依(よ)る慰霊・鎮魂は、日本人の気持ちを表している。
 正確に言えば、それは〈魂降すなわちシャーマニズムに基づく儒教的宗教性の表現〉である。
 たとえば興亜観音の傍らに安置されている日中両国の戦没者の霊牌(位牌)がそれである。慰霊や鎮魂はインド仏教に基づくものではなくて、インド仏教が中国に伝来されて後、慰霊・鎮魂を行う中国儒教を取り入れて成立した中国仏教に基づくものである。
 すなわち、中国仏教は、輪廻転生(りんねてんせい)を説くインド仏教と、慰霊・鎮魂(招魂再生)を説く中国仏教が、日本仏教としてさらに展開をとげ、花開く。
 こうした話しは、紙幅上、とてもここでは書き尽くせないので拙著(せっちょ)『沈黙の宗教―儒教』(筑摩書房)を読まれたい。
 話しをもとにもどすと、われわれ日本人、ひいては中国・朝鮮半島・日本という東北アジア人の宗教心は、慰霊や鎮魂が主流である。
 特に日本人は、その折に、それぞれが己(おのれ)の深い思いを死者に寄せる。
 たまたま日本仏教の形式を借りながら、春秋の彼岸、盆、そひて各家の先祖供養、念忌法要、われわれは己の祖先に対するときと異なり、一種の表現し難い罪を感じ許しを乞(こ)う気持ちが加わる。
 ただしそれは刑事的な罪とか、賠償すべき罪とかいったものではない。
 彼の人は亡くなり、己は生きてあり、ひたすら申し訳ないとする自己反省の宗教的な気持ちである。それは〈宗教的謝罪〉と言ってよい。
 今年、首相をはじめ多くの人々が戦後50年と称して謝罪を表明した。それは政治的戦術にすぎず、中身の無い偽りの謝罪である。
 それと異なり、われわれは各地の慰霊碑(かつては忠魂碑)を通じて、いわば〈宗教的謝罪〉を人知れず、ずっと行い続けている。
 難死者への思いは、われわれの心の中で宗教化されて生きているのである。
 (大阪大学教授)


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