興亜観音におまいりして
中島康子

中島康子さん


 緑濃き晩春の興亜観音を、両親と共に訪れたのは、今年の4月下旬のことでした。
 鬱蒼(うっそう)と生い茂る樹木・・・・・。延々と続く急な山道・・・・・。
 前日の大雨のせいか緑の匂いがむせるようにたちこめる中、必死でビデオカメラのファインダーを覗き込みながら、1歩1歩と踏み進んでいく道のりは、しかし、遠い日の遠足を思い起こさせるような、妙にわくわくする楽しいものでした。
 途中、生え始めた筍(たけのこ)や季節の野草に挨拶をして、20分ほどで辿り着いたその頂上には、優しく柔和で、どこか遠い目をした、平和なお顔の観音様と、その観音様をずっとお守りされているという妙徳尼さんの、これも又、訪れる者を温かく出迎えてくれる、素晴らしい笑顔がありました。
 小さな、しかしよく手入れの行きとどいたお堂の中で、丁寧な説明を聞かせて頂き、とてもおいしいお茶をいれて頂きました。
 ともすれば、急激な時代の流れから取り残されてしまいそうなこの場所は、しかし、日本という国の歩んできた道や、戦争という事実の重み、その意味など、実に様々なことを考えさせる機会を与えて下さいました。
 分刻みの情報が流れ、宇宙からリアルタイムの映像が茶の間に写し出される時代、世界に戦火の絶える日は無く、人はまだ、歴史の礎となられた多くの人々の声なき祈りに、真の意味で気づいてはいないのかもしれません。
 伊豆山の温暖な気候と自然に恵まれたこの土地は、それらを忘れないために、神様が特別に用意された場所のような気がしました。
 ほとんど絶景ともいうべき、眼下に熱海湾の広がる景色にみとれながら、ひっそりとこれらを守り続ける人々こそが、真の興亜観音なのだということに気づくまで、そんなに時間はかかりませんでした。
 そして、私たち1人1人の小さな意識の芽生えによって、その場所を、心を時の流れを越えて、これからも大切にしていくことが出来るのかもしれないということも・・・・・。
 出迎えて頂いた時と同じ深い平和と感謝の笑顔に見送られて、山道を降りる時、いつのまにか自分の中も、深い平和と感謝の念で満たされるのを感じていました・・・・・・。
(興亜観音を守る会会員)


「興亜観音・第2号」目次のページへ