霊界からの同期生との邂逅(かいこう)

福家 隆(ふけ ゆたか)


 先年発刊された53期戦没同期生632柱の慰霊検証誌『鎮魂』の発行責任者、安部喜久雄君から、同期生史『驕尓』の編纂(へんさん)慰労をとの誘いを受けて11月16日、11人が熱海に集った。
 会食の冒頭「予期を遥かに越える充実したものを作って呉れて誠に嬉しい、殊に命日表は有り難い」との賛辞を受けたのは、提案推進者として殊の外嬉しかった。
 翌朝、曽根、射場、飯塚(平)の三君と「興亜観音」にお詣りに行くことになり、中腹まで車で、その上の急坂数分は既往ニューギニアでの転進行路を思い起こしつつ登った。
 堂守の伊丹尼さんに丁重に導かれ、本堂に入り、参拝読経を終え、フト横を眺めると陶器製の観音様が200体程並べられている。
 頒布物なら一体記念にと思ったが、価格の表示もないので「あれは?」とお尋ねしたら「B、C級戦犯刑死者1068柱の鎮魂観音様で、一体にご尊名と年月日、場所が注記されている」とのことであったので、「では、一体拝見を」と願い、手渡されたものの裏面を拝見したら何と「原 徹郎、昭和22年7月16日、ラグラン」とあるではないか。同期生なのである。
 余りの偶然に驚いて三君に「おい、これは同期生の原君のだ」と告げ、尼さんにもその旨伝えたら、尼さん、これは仏縁なりとして、早速改めて原君の為に再読経して頂き、我々も改めて香典と共に偶々所持の拙著『痛恨の東部ニューギニア戦』を供えさせて戴いた事であった。
 後日、慰労お礼の電話のついでに安部君に、この話を伝えてたところ、同君曰く「原君とは同郷島根で中学も近く、しかも、本科同区隊でもあり、未亡人も良く知っている。
 早速この話を未亡人にお伝えしよう、きっと驚き、そして喜ばれる」と。
 世間は広いようで狭い。「いつ」「何処に」「どんな」奇縁、仏縁が現れるかも知れぬとつくづく思う。
 因みに同期生1千9百余命、内、法務死者は3名のみだが、私は『鎮魂』誌を基に3年前同期生の命日表を試作し、はじめて原君の名と、その法務死を知ったことであったが・・・。
(陸士53期)
 この原稿は「偕行」誌平成6年3月号に掲載されたものです。
注:「○」の部分の漢字は現在使用されておらず、仕方なく表記する事が出来ませんでした。


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