興亜観音と平和
中條高徳


 戦後50年。
 今年も8月15日、日本武道館で戦没者慰霊祭が行われた。出席の遺族も相当高齢化してきた。
 靖国神社の大臣参拝も今もって公人か私人かを追及するマスコミも姿勢は変わらない。
 若者の中には靖国に合祀(ごうし)されている人達のことすら知らない者も出てきた。
 国家のために、公共のために身を捧げるという尊い行為すら理解出来ない輩(やから)が多くなって来ている。
 1937年支那事変が起きた。「友隣相撃ちて莫大な生命を喪滅す。実に千歳の悲惨時なり。然(しか)りと雖(いえども)、是(これ)所謂(いわゆる)東亜民族救済の聖戦たり」と判断された軍司令官、松井石根大将は、昭和15年、熱海伊豆山に敵味方、勝者敗者の区別なく戦没者供養のため「興亜観音」を建立された。
 正に武士道の発露といえよう。
 その後、この興亜観音にはA級戦犯として殉難死(じゅんなんし)された七士のご遺骨、BC級戦犯として処刑された1068名を含め大東亜戦争の戦没者の、み霊が合祀された。
 戦争というものは、残酷極まりないものであり量り知れない不幸を生む。
 しかし如何なる平和ボケの時代になろうとも、国家のために、社会公共のために生命を捧げる尊さは、いささかも消滅するものでもない。
 逆に平和を希求すればする程、鎮魂の魂を捧げる義務や責任は増す。
 そのことが却(かえ)って戦争の残酷さを知り、平和への願いにつながる近道ですらある。
 明日の日本を誤たないためにも「興亜観音」を1人でも多くの国民が護っていかねばならない。
(陸士60期)(アサヒビール飲料(株)代表取締役会長)


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