観音の慈悲
奈良部光孝
(興亜観音を守る会理事・陸士61期)

奈良部光孝さん


 ジリジリー、電話のベルが鳴る。
 受話器をとると、栃木で医師をしている磯君の声が受話機の向こうから聞こえてきた。
 「興亜観音」にお詣りしてきたよ。熱海で医学部の同窓会があったので、クラスのレン連中に君から聞いていた興亜観音の話をしたら皆で行こうということになり、タクシーに分乗して行ってきたよ。」
 「そうか、そりゃ良かったね。」
 「タクシーが坂を登って大分近くまで行ってくれたので、車を降りて坂道を登ったけど、6〜7分程度で着いたよ。」
 「そうタクシーがいいんだよ。4人で乗ればバス代と大差ないし、それにバスだと国道からの登りで相当きついよ。」
 「それにしても観音様は景色の良い所に立っておられるね。青々した熱海湾の眺めに時の経つもの忘れて見入ったよ。」
 「露座の観音様も素晴らしかっただろう。」
 「そうそう観音様を拝ませて貰(もら)ったが、慈悲深いお顔で西の海をご覧になっていた。この観音様が、日中両国の戦没者供養の為に、南など激戦地の彼我の戦血染みた土で造られていると思うと目頭が熱くなった。観音様の発願主である松井将軍の心が伝わってくるみたいだったよ。」
 「そうか、あの観音様のお顔、お姿は格別だからね。」
 「同感だね。敵味方を問わず祖国の為に散華した英霊を手厚くお祀(まつ)りするという慈悲の心情は、観音様を信ずる真摯(しんし)な心から生ずるものだろうね。」
 「戦の勝ち負けには関係無いね。」
 「敵方の人にまで慈悲を注ぐ心というのは、日本古来からの神様や佛(ほとけ)様の心だと思うよ。大和心、日本人の心とはこういうものじゃないだろうかと思ったよ。」
 「僕もそう思う。今の世の中は君の言う観音様の心。大和心などを言うと、非科学的だとか、合理的でないとか言われて無視されがちだけれども、何か間違っていると思うよ。」
 「君からこの観音様の話を聞いたときはそれほどでもなかったが、実際にお詣りしてみて、失いかけていた日本人の心というものを改めて実感したよ。一緒に行った連中も皆んなそう言っていたよ。」
 「皆んな喜んでくれてよかったね。」
 「興亜観音を教えてくれた君に感謝するよ。尼さんにもお会いでき、お話も伺ったし、金一封を奉納してきたよ。心晴々した想い出に残る1日だったよ。」
 「そうか、有難う。観音様を守る会の方もよろしく頼むよ。」
 「ああ、分かっているよ。守る会の加入を皆んなに進める心算だ。君も一層頑張れよ。」
 頼り甲斐のある友を持ったことに感謝すると共に、これも観音様の慈悲のお導きかと心の中で手を合わせた。
 胃の検診のため掛け付けの医院に行ったとき、待合室の書棚に「ご自由にお持ち帰り下さい」と表示して雑誌が積んであった。
 一冊手にしてみると、巻頭言に「やすらぎ」と題する論文があり、引き込まれるように読んでいくうち、興亜観音に関する記述があった。
 そこには、筆者が興亜観音にお詣りしたときの感懐が記されていた。
 即ち発願主の松井将軍が敵国将兵の英霊と同じように慰霊の誠心をお示しになり、後世に長くこの訓えを伝えようとされた観音建立について、「尊い人の道である」と、敬虔(けいけん)な賛辞が述べられていた。
 この様に雑誌の中で興亜観音の思召(おぼしめ)しに触れるとは思いもかけぬことだったので、この1冊を有り難く押し戴いて持ち帰った。
 観音様は、どこにでも尊い慈悲を注いでいらっしゃるのだと深く感銘した。
 その雑誌は、★倫理研究所の編集であり、筆者は同所長の丸山竹秋氏とあった。


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