「扇面の書について」

松井石根大将の扇面の書


古希誕辰 述懐
明治戊寅の夏
清和源氏の裔
武兵の第六男
十六陸軍に入り
累升、大将を承け
夙に(つとに)東方の事を志し
初時燕京に赴き
朝野の士人と交り
帰って帷幕の賛に當り
三次欧米に経き
審(つまびらか)に國際の難きを知り
侶中・偉和に座し
上海の兵変に逢ひ
征師真に涙血
首府金陵を降し
巧成りて戟(ほこ)を収めて還り
興亜同盟立ち
中外の事を籌謀(ちゅうぼう)し
国破れて戦犯の人となり
老骨古希を迎へて
俯して地に恥る無く
面壁専ら道を求め
昭和丁亥夏七月
尾張牧野に生る
歴代金城に仕ふ
幼にして凌雲(りょううん)の気有り
廿歳少尉に任ず
勲位寵恩全し
支に遊ぶこと十数年
又江滬(こうこ)に駐留す
日華親善に努む
出でて旅・師・聯に長たり
軍縮・執権を談ず
画策す東洋の社
鞍を懸けて草野に臥す
起き来たりて晩節を揮(ふる)ふ
力戦愈々仁威
皇軍神武熾(さかん)なり
内朝の参議に任ず
大東亜戦酣(たけなわ)なるや
歴巡して西南に説く
落莫たり幽牢の裏
痩身荘志を埋(うず)む
仰いで亦(また)天に羞(はづ)る没(な)し
心を放つ一味の禅
巣鴨獄中に於て
孤峯石根

「扇面の書について」

 昭和21(1946)年から約3年間A級戦犯として巣鴨の獄中にあった松井石根大将が、昭和22年の7月、古稀(こき)の誕生日に際して白扇の地紙に五言絶句の漢詩を以ってご自分の生涯を22行に集約して揮毫(きごう)された遺書ともいうべき由緒(ゆいしょ)あるものである。
 故郷の長野県飯田市から状況した田中正明会長が巣鴨に面接に伺った際に、大将から遺品として直接頂いたもので、その後掛軸に表装して大切に保存しておられる秘蔵の逸品である。
 平成7年11月18日の興亜観音を守る会の発足1周年記念会の際、田中会長が持参され会場の壁面に掲げて参会者一同に多大な感銘(かんめい)を与えたことは記憶に新しい。
 来(きた)る5月18日の興亜観音の例祭当日には、写真に撮り額縁に入れたこの書を現地の観音堂に納めて今後参詣される会員の皆さんの縦覧に供することとなっている。
 (今坂芳正)


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