ミニ観音開眼供養に靖国神社の宮司参拝
興亜観音を守る会会長
田中正明


大野・靖国神社宮司に小観音像を進呈する田中会長(右)

 去る5月18日の興亜観音例大祭および「興亜観音を守る会」の総会には、遠路はるばる多数の方々のご参集を賜(たまわ)り、かつてない盛会裡(せいかいり)に終了いたしましたことを心から感謝申し上げます。
 また永い間の私どもの宿願でございました愛知県常滑市の高名な佛像陶工師柴山清風氏の制作に成る国宝級のあの慈愛あふるる合掌印観音像のミニチュア(高さ18センチメートル)が、静岡県藤枝市の高名な佛像陶工師、加納寂玄氏によって二百体作成されました。
 加納師は観音経を謹写して、それをひとつひとつミニ観音像の胎内におさめました。
 そして興亜観音堂でその開眼供養を行いました。
 私ども「守る会」の主たる役員が、そのお手伝いに参上したことはもちろんであります。
 ちょうどその時、私どもは奇蹟的ともいうべき四人の参拝客を迎えたのです。
 堂内で一同起立して"君が代"を合唱し、導師の青井秀山師が「これより開眼供養を施行します」と述べた時、四人の参拝客が現れたのです。
 その四人とは、靖国神社の大野俊康宮司さんを先頭に野口広報課長、野田用度課長、小峯遊就館展示課長らで、揃ってご参拝に山を登って御堂の前に立たれたのです。
 さっそく堂内に入っていただきました。
 そして青井師と三姉妹による開眼供養の読経がはじまりました。
 式の終了後、私は一同を代表して、大野宮司さんに開眼供養したミニ観音像をご進呈申し上げました。
 宮司さんは観音様をおしいいただき「二百五十万の英霊もさぞお喜びくださいましょう」と言われました。
 加納寂玄氏が精魂を込めて謹制されたミニ観音の御像の中には、大野宮司さんを通して二百五十万英霊の祈りが込められているのです。
 靖国神社奉賛会の機関紙「靖国」の六月号には、大野宮司さん一行の興亜観音参拝と、このミニ観音像のこと、それから箱根の「パール・下中記念館」見学のことがくわしくでています。(※下段)
 このようにして靖国神社と興亜観音とは太い絆にがっちりと結ばれたのです。


靖 濤

 山の木々が様々な浅縁に輝いていた5月12日、大野宮司以下連れだって、箱根のパール・下中記念館と熱海の興亜観音を訪ねた。
>前者は、東京裁判のインド代表判事として、日本側被告全員の無罪を主張したパール博士を顕彰している。
 印象深かったのは、所謂(いわゆる)戦犯者の家族に合掌する博士の写真であった。
 その時、博士は「戦犯と言われるが、決して犯罪者ではありません。全員無罪です。(中略)しかし、私は今さらながら自分の無力を悲しみます。(中略)許して下さい。」と語ったという。
 自ら犯した過ちのごとくに、御遺族にわびた博士のやさしさに、思わず涙が流れた。
 しかし、それが同情などではないことは、次の言葉からも知れる。
 「私は日本の同情者として判決したのではない。事実を事実と認め、法の真理を適用したまでである」
>一方、その東京裁判により巣鴨の露と消えた松井石根大将の発願で、支那事変の日中戦没者を弔う為、昭和十五(1940)年に建立され、戦後は松井石根大将を含む所謂(いわゆる)戦犯刑死者(昭和殉難者)の慰霊塔も建てられたのが興亜観音である。
>初夏の陽射しさえも遮る深い森の、急峻な坂道を登って御堂に着いた時、御遺族等に頒つ観音像への入魂式が行われていた。奇遇を超えた、諸霊のお導きと畏み、感謝しつつ式典に参列させていただいた。現在ここでは、昭和殉難者1068柱分の観音像が制作されつつある。その台座は、蓮華ではなく靖国神社を象徴する桜の花で飾られていた。
>理不尽極まる戦争裁判によって無念の涙を飲んだ方々を慰霊する心は、ひたすら優しく靜かであった。そこに、日本のゆかしさを見るのである。  


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