我ら悲しき全共闘世代
蓮坊公爾(れんぼうこうじ)
「興亜観音」(第三号)−これからのアジア-を奉読、なるほどご尤(もっと)も。
すっかり頷(うなず)いてしまった。
単なる納得、壮快なる読後感に自己満足するだけなら、象牙の塔に逃避行する学者、タレント評論家の世迷い言でしかない。
その裏側にある今日的現実、亡国的世相に憂いを、義憤を感じる。
敷島の道の何たるか、葦原の瑞穂の国の有り様に思いを寄せてこそ、アカツミカミの赤子の御勤といえる・・・。
昭和40年代前半、学生(全共闘世代)だった僕らは、歪で屈折した思考で物事を判断する術に長けている。
利己的、自己中心的。
左翼思想の恩恵をすっかり受け、ニヒリズムの虹の掛け橋を渡る。
帝政ロシアを倒したレーニンが偉大なる革命家であり、マルクスはゴッドになってしまった。
これら神の思想を称(たた)え、啓蒙家を繁殖させたのが、「朝日ジャーナル」であり、「世界」なのである。
先日他界した、丸山真男なる学者の影響を受けたのも我らの世代-ヒトリヨガリ世代-である。
スメラミコト(天皇)に忠なる大和男子が、マルクス、毛沢東を崇(あが)め奉(まつ)る。
摩訶不思議な現象が、ここに生まれた。
この時期、亡国の芽が、しっかり育ち始めていた。
それを諌(いさ)め、益荒男(ますらお)ぶりを如何(いかん)なく発揮したのが、三島由紀夫ただ一人であったのは、はなはだ残念である。
悪疫はびこる日本国。
工藤千代子女史の憂国の情で答えるなら-戦前の方が第一線を退く-。
マスメディア、教育会をペスト汚染する輩は、残念ながら亡国人の全共闘人間達なのである。
余談になるが、知人から「天皇」(加藤雅信著)の贈呈を受けた。
この中で、 -象徴天皇の支持率は高いが、戦後世代の支持者の意識は、戦前とは雲泥の差 -これはショックである。
現行憲法下における平成天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」(第一条)からなのである。
スメラギのおわします大和島根の国体そのものが、今日揺らめいている。
これも、平和憲法の欠陥の現れの一例であり、祖国を愛する臣民は、国体護持のますらおぶりを遺憾なく発揮し、運動を邁進(まいしn)する義務がある。
そのためにも、戦前・戦中派の方々の英知を結晶させ、若き血潮の次世代に、祖国の明日を語って欲しい。
昨今の右翼、民族派の言動の脆(もろ)さ、良識ある人々の声の低きこと残念である。
それもこれも、日本国の舵取りをする政党政治家の怠慢、ナショナルインタレクト(国益)とは、何ぞや・・・。
潜在意識にも上がらず、おのが議員バッチの光背に憧れ、友愛を説くが、良識ある諸国民の声を聞く耳を持たない結果の悲劇である。
中国、韓国の恫喝(どうかつ)に怯(おび)え、謝罪する。
こうべを垂れる知恵などあっても、祖国の明日を語る勇気がない。
否、国史を学ばず、日本罪悪、自虐史観の負の恩恵を破ったからなのである。
全共闘世代の政治屋が繁殖する今日。
この議会制民主主義を改めて検証することこそ、戦後50年の反省に繋(つな)がる。
不毛な学校教育。
左翼教師と亡国教科書が存在する限り、旭輝く瑞穂の国の瓦解(がかい)につながる。
崩れ去りしポンペイの遺跡の二の舞だけは、御免だ。
教育者は、その責務の重要性を再確認する。
「支那屋の長老」と呼ばれ中国人にも慕われた松井石根大将(「興亜観音」像建立)が処刑された無謀な東京裁判。
ポツダム体制、日本国憲法(占領基本法)ぐらいは、最低の常識である。
このジョウシキ、当たり前が抜け落ち、空虚な空間の中、多感な青春時代を過ごしたのが全共闘世代なのだ。
僕自身は、両親が国思う礎であり祖父の夢を聞かされ成長した事、感謝している・・・。
日本を愛する燐愍の情あふれる人々よ。
今こそ、祖国の明日を取り戻す戦の幕開けである。
(歴史評論家)