興亜観音に生き佛を拝して

清水 正尚

合掌 若葉の美しい季節となりました。先日の慰霊祭、三明先生には格別のお世話になりまして誠に誠にありがとうございました。前もっての孤峰会の段取り、興亜観音の今後の問題のご配慮と、どんなにかお疲れになられたことでしょうか。その上お忙しい中、何度も何度も御足を運んでいただき、私どものために御心をかけて、親にも勝る御心配をしていただきまして重ねて厚く御礼申し上げます。<中略>
(三明氏より贈られた童謡等のテープとヘッドホンとに対するお礼が心をこめて恂々と述べられている。)
姉達も大変喜んでおります。快い美しい名曲は私の心への栄養となり、明日への鋭気をやしなってくれます。これを活力へとつなげ、また頑張って行きたいと思っております。誠にありがとうございました。きっと佛様が、日頃の労力に対して三明先生を通じてごほうびをくださったものと感謝しております。<中略>
先生から賜りました「都忘れ教はりし尼僧いまは亡し」の、ありがたくてもったいないような御言葉、母もさぞ喜んでいることと思います。大事に御宝前に供えさせていただいております。私も何度も口ずさみながら、花が大好きで参道を花で埋め尽くしたいと張り切っていた母を今偲びつつ、三明先生御夫妻の御恩を佛前に報告させて戴いております。<後略>
         日頃の御温情に感謝しつつ
              礼拝山興亜観音内    伊丹庸子   再合掌
  三明正一先生

 それは何と尊く、美しいお話であろうか。
 正に天使と天使の心の触れ合いを見る思いがして、私が宝物として保存している書状の写しがある。
 お許しを得たので、長文の中から部分的ながらご紹介したい。
 「興亜観音を守る会」が結成される前年の平成5(1993)年5月、例大祭・孤峰会総会後、伊丹妙浄尼様から三明正一氏に送られ、私が特にお願いして感銘深く拝読したお礼状である。
 三姉妹を代表されての謝辞と解せられるが、この長いお礼状のペンの跡も、お気持ちと御性格その儘(まま)に実に美しく認(したた)められている。
 更に旬日を出でずして、三明氏はこの俳句を墨書され(左上写真)、改めて短冊掛に入れて贈られたのであるが、直ちにそれに対する鄭重(ていちょう)なお礼は勿論(もちろん)、テープやヘッドホンへの感謝のお言葉が重ねて述べられ、謝意が行間に溢(あふ)れている。
 而(しか)も職場から午後十時過ぎに帰宅され、今日一日無事に勤めさせて戴(いただ)いた感謝の報告をすべく御宝前に灯明をつけられた所、供えられていた三明氏のお手紙と短冊を見て、お疲れの身に午前零時半頃からペンを執(と)られたことが窺(うかが)える。
 三明氏は妙眞尼様の御生前、写真を撮影して差し上げられ、会心の作が出来たが、それが御遺影となり、この都忘れの句と共に御姉妹の御母堂様を偲ぶ何よりのよすがとして、どれだけお三方のお気持ちを慰め、勇気づけていることであろうか。
 これ一つ取って見ても、三明氏の已むに已まれぬ誠心から滲(にじ)みでる温かさ、濃やかさ、思いやりの深さに如何に感謝されているか推察できるであろう。
 先のお手紙にも、「何度も足を運んでいただき」「親にも勝るご心配を・・・・」とあるが、これは永年に亘(わた)る三明氏の神々しい迄の御誠情のほんの一断面を示しているに過ぎない。
 松井大将の御依頼を奉じて五十数年、清貧に甘んじて只管観音様と七士の碑を守って来られた伊丹忍礼師、妙眞尼御夫妻に、私は後光を感じ、佛様の御心を拝する様な心地がするのである。
 そしてその亡き後を継いで佛門に入り、御両親の御意志を体して懸命に法灯を守られる三御姉妹。
 その支えとなって形而上下に亘り慰め、励まして来られた三明氏御夫妻の陰徳と慈愛のお姿こそ、佛心そのもの、生き佛と申すべきであろう。
 私共が生き佛と仰ぐ当の妙眞尼様は、三明氏の御篤行を菩薩行と仰せられていたが、蓋し至言である。
 そしてこのお言葉こそ、氏の御高徳のすべてを物語っていると思うのである。
 特に、激務である税理士の御本業、陸士58期生代表幹事をはじめとする役員と、御多忙を極める中を並大抵で出来ることではない。
 昭和60(1985)年12月8日、興亜観音のお祭りの日が、相武台雄建(をたけび)神社鳥居竣工式と重なった時も、鳥居再建委員会の氏は、「心は二つ、身は一つ」と苦慮された上、ほんの数名しか出席者がない寂しい興亜観音へ向かわれた。
  竣工式に出席した私共へは、氏から鄭重なお礼状と共に、竣工式の記念写真をお送り戴いたが、東奔西走、八面六臂(はちめんろっぴ)の御活躍を続けられる三明氏の御心境は、「心は二つ、身は一つ」の言葉に尽きる様に思えてならないのである。
 同時に動もすれば打算が先行する現代社会にあって、謙虚に身を殺して仁を成される三明令夫人の透徹した御心境、陰に陽に慈母の如くお優しい、崇高な御淑徳に感服の外はない。
 陸士出身の同窓会誌「偕行」、昭和55(1980)年9月号に、三明氏は、板垣参議院議員当選報告と共に、「興亜観音と七士の碑」を詳しく紹介された。
 次いで同59(1984)年1月及び7月発行の58期生会報に、渡辺二雄氏(現「興亜観音を守る会」理事・事務局長)により、「興亜観音奉賛会のおすすめ」が寄稿された。
 これ等の呼び掛けにより、陸士同窓・同期性を中心に興亜観音への認識が逐次深まって行った。
 その頃、三明氏御夫妻のご尽力により進められ、44年来の夢であった水洗便所が、昭和59(1984)年8月に完成した。
 妙眞尼様からの御書信で、参詣者の上を配慮されて殊の外お喜びの御様子が拝察され、私共も我が事の様に喜んだのであるが、この時も事務処理を兼ねて三明氏が現地に飛ばれた。
 三明氏御夫妻は謙遜して語られないが、この水洗便所にしても然り、下世話ながら経済的御負担も決して少なくないと推察され、これも我々の忘れてはならないことである。
 興亜観音を守られる伊丹師御夫妻のお喜びを我が喜びとして、唯一の誠心に生きて居られる三明氏御夫妻の床しいお人柄が偲ばれ、長年月の、物心両面に及ぶ御恩情、献身的なお姿に唯々頭が下がるばかりである。
 これは並の人間に出来ることではなく、私が生き佛と申し上げた所以(ゆえん)である。
 長年興亜観音の為に、献身的に御尽瘁賜った三明氏は、最近御夫妻共々御健康の問題を抱えて居られる様であり、お疲れからではと案じられるが、一日も早い御回復を祈って止まない。合掌
 (書心書道院 院長・陸士58期)


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