ABC級戦犯
戦犯とは、戦勝国が裁判という形で為した復讐劇に基づく言葉です。
しかし一般に定着していますので ---
未だ占領政策に呪縛されている現状は嘆かわしい限りですが---そのまま使用しました。

奈良 保男

 間もなく、東條英機大将以下七士の方々がA級戦犯として巣鴨拘置所で散華されてから、満50年の歳月が巡ってくる。
 平成10(1998)年12月23日である。
 松井石根大将もそのお一人で、七士のご遺骨は、松井大将が建立された興亜観音の「七士之碑」の下に祀られている。
 興亜観音には、殉国の法務死者一〇六八柱の供養碑が建てられて、日夜、その慰霊、供養が行われている。
 この数字は、昭和28(1953)年に刊行された戦争犯罪人の遺稿集、『世紀の遺書』<絶版>の末尾に記載されている戦犯死没者名簿の数字である。
 ここで論考したいのは大きく分けて2点ある。
 その1つは日本人は悪虐非道であったと戦勝国から断罪され、戦犯として無念の死を遂げられ方が1千2百名近くも居られることを忘れてはならないと云うことである。(注:現在1068柱より増えていることが判明している)
 最近の米・中両国等で行われている日本の戦争責任や残虐と称する行為を、ここへ来てことさらのように追及するプロパガンダが盛んになっている。
 その内容は偏見に満ちた一方的なもので、それに加えて国内の論調も特に中国におもねるものばかりであり、このままに放置しては国の存立を危うくする虞(おそれ)がある。
 勿論(もちろん)被害を受けた国々に対して遺憾の意を、死者に対して鎮魂の意を表すのは聊(いささ)かもためらうものでは無い。
 興亜観音に日中双方の戦没者を祀られた松井大将の建立精神は、まさにその発露である。
 ただ、日本も無実の方々を戦犯として差し出した、これだけの犠牲をはらった事を忘れて欲しくないのである。
 2つ目は所謂(いわゆる)ABC級の区分けについてである。
 元々戦犯にはa項、b項、c項の犯罪項目はあったが、級の分類は存在しなかった。
 日本での戦犯裁判を開くにあたっては、ナチスドイツを裁いた条例をそのまま適用している。
 そこでは、a項-平和に対する罪、b項-通例の戦争犯罪、c項-人道に対する罪、の3項があった。
 ニュールンベルグ裁判では、有罪19人の中、16名が3項目の併合有罪であった。
 市ヶ谷の東京裁判では、25人全員が有罪であったが、a項b項併合が9名、a項のみが15名、b項のみが1名<松井大将が虚構の南京事件で断罪された>と云う結果であった。
 c項の「人道に対する罪」では、全員無罪であったのである。
 日本の戦犯はナチスのそれとは違って、戦争の計画、準備、開始、遂行のための共同謀議への関与が主たる罪状、しかも無法に、一方的に断ぜられたのである。
 なお上記の戦争の定義は日本語訳で侵略戦争となっているが、原文は、a war of aggression であり、筆者は「進行戦争」と訳すべきと考えている。
 ABC級と云う言葉は、横浜軍事法廷が始まる前にGHQが意図的に流した報道によって、A級は戦争指導者、B級は虐殺指示者、C級は虐殺現行犯、というような分類が定着した事は、戦犯研究者の第一人者茶園義男先生が指摘されている。
 米国こそ、日本の都市を無差別爆撃し、広島・長崎に原爆を投下して無辜(むこ)の日本人を虐殺した戦争犯罪者であり、その犯罪を糊塗するために東京裁判において南京虐殺をでっちあげたのである。
 これを利用して日本から謝罪・賠償を引き出そうとしているのが中国の策謀である。
 今こそ興亜観音を建立して、中国軍戦没者をも弔(とむら)った松井大将の崇高な精神は不滅であると信じ、歴史の改ざんや捏造(ねつぞう)による不条理な中傷や抗議は、必ず崩壊するものであることを、興亜観音を永遠に護持することによって内外に明示したいと念ずるものである。
 (広幼47期 本会理事)


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