鎮魂のラッパ
長塚 国雄
区立図書館で読んだ「東京裁判とは何か」で、真の史実を初めて知った。
膨大な裁判記録を殆(ほとん)ど余すことなく立証しつつ、苦労して書かれたであろう大作に感動して、著者田中正明先生に手紙を書いた。
すると興亜観音を守る会の会長をされており、懇親会の通知を頂いたのである。
一度ぜひお会いしてお礼が言いたいと、初めての出席であった。
受付で名札と出席名簿を貰い、会場隅の長椅子に腰を下ろした。
まもなく「長塚さん、ようこそ・・・」と声をかけられ、ホッとした気分になった。
会場中央の壇上に大きな日の丸の国旗と興亜観音像が飾られ、式は国家斉唱から始まった。
本当に久し振りで腹の底からの大声で君が代を歌った。
出席者百余名の斉唱は一糸乱れず、会館に響きわたり清々しい。
続いて松井石根大将以下殉国七士及び全戦没者に対して黙祷(もくとう)をと司会者が告げた。
とその時、鎮魂のラッパが鳴り響いた。
意外だったラッパの吹奏。
かつて軍籍にあった聞き覚えた勇ましくそして何か哀愁のある旋律は、ほろ苦くまたなつかしく、若き日の当時を思い出した。
写真で見た通りの温厚誠実そうな田中会長のあいさつは、興亜観音に寄せる各位の協賛に感謝の言葉と、京都に建てられたパール博士顕彰碑の模様。
その京都で2、30代の若い同志の会が結成された、それも藤岡信勝教授と共に講演に行った成果だという嬉しい報告であった。
一同乾杯。
あいさつを交わし食って飲むほどにすぐ真っ赤になって、いただいた名刺はそうそうたる肩書きを持つ人々が多かった。
それもそのはず。あの頃難関とされた陸幼、陸士、海兵出身が多数出席していたのである。
腕章をつけた受付や、各係、司会進行などハキハキした規律正しい言動は、やはり若いころに習練されたもので気持ちいい。
そんな中に海軍ニ整曹の兵卒が1人紛れ込んだのである。
でもそこはみんな紳士たち、和やかにやわらかく包んで違和感を覚えず、同志、同年輩、ほろ酔いも手伝って会話がはずみすぐに意気投合した。
「よかったなァーラッパの吹奏は・・・」と、吹奏の主を探したら「先輩からすすめられて・・・ラッパの田口と覚えてください」と謙虚な人であった。
再び吹奏された栄誉礼のラッパ、そしてわざわざ京都からきた若い同志代表のたのもしいあいさつがあった。
会はいちだんと盛り上った。
それにしても何というさわやかな雰囲気であろうか、素晴らしくいいムードが漂うのを感じる。
それはきっと、愛国の念に燃えた青春の日々を、特訓に実戦に共に精励した戦友の久し振りの出会いであり、現代の乱世傾向を憂える愛国憂国の士の集いだからであろう。
楽しい有意義な会の終わりが告げられ、それぞれが名残惜しげにあいさつを交わす中、紹介のあった小観音像と図書2部を求めて小脇にしっかりと抱えた。
良い会だな・・・本当に参加してよかったぁ、良い雰囲気の余韻(よいん)に酔いながら会場を後にした。
京都の「教科書が教えない歴史観セミナー」で、田中、藤岡両先生が講演され、340名しかも半数以上が20代の若者が集った。
特に田中先生の語るパール博士に聞き入る若者たちは真剣で、歴史観維新が湧き起こった感があったという。
ありがとうパール博士 | |
1、 | 極東国際軍事裁判 いかめしい裁きの庭は 怒りと恨み不安と恐怖の 重苦しい空気に満ちた |
2、 | 開廷の度ごとに 戦犯という被告人に向い 合掌して席につく それは異彩の判事がいた |
3、 | その人の名は法学博士 インドの代表判事 ラダ・ビノード・パル 違法な裁きを提訴する |
4、 | 戦争は犯罪でないと 全員無罪の判決文は 90万語にも及びしも 届かず戦犯の処刑さる |
5、 | 日本の心古来の歴史に 呪縛を解き目覚めよと 教え励ますパール博士は 阿弥陀如来再来のひと |
(書道教師)