アメリカを揺るがす『ザ・レイプ・オブ・南京』

彗星のごとく現れた一冊の本が全米の目をひきつけている
あの「南京虐殺」を生々しい描写で描いた日本告発の本である
著者の若い中国系アメリカ人は、一体何者なのか

チャールズ・バレス

1998年8月号『中央公論』より

『中央公論』平成10(1998)年8月号より転載


残虐行為を生々しく

 中世ヨーロッパでは、天空に突然彗星が現れると、世の激変の前兆とされ、それをもたらした未知なるものが善か悪かをめぐって人々は恐れおののき、論争が起こった。
 若い中国系アメリカ人が書いた南京虐殺についての1冊の本が今、日の出の勢いで予想外のベストセラーになって、そんな彗星のような反響を呼んでいる。
 この本は、1937(昭和12)年の南京占領時に引き起こされた日本兵による中国人の虐殺、拷問、強姦の残酷で生々しい記述と写真が特徴だが、ベストセラーのリストに登場するとは予想しなかった。
 ところが爆発的な売れ行きを見せているばかりか、5月に連邦議会で行われたブルーフィング席上での著者自身の言葉を借りれば「戦争の火の手」がこの本えおめぐって上がっているのだ。
 アメリカでは、ほとんどの新聞で書評家が賞賛したが、学者のあいだでは評価がはっきり分かれている。
 日本の戦争責任追及のためにロビィ活動を続けている中国系アメリカ人団体のあいだでバイブルのように扱われているのに対し、日本ではまだ翻訳も出ていないのに、早くも秦郁彦その他の歴史学者から記述に誇張が多く、写真にも関係無いものが含まれているという批判が出ている。
 4月末に駐米大使斉藤邦彦が、「非常に不正確な記述や一方的な解釈が多い」と発言すると、世界各国から一斉に攻撃された。
 真っ先に批判したのは中国政府の関係者である。
 著者も憤慨して大使に論戦を挑み、それが引き金になって『タイム』誌は、「喧嘩騒ぎを起こした南京虐殺の本」という見出しで激化する論争について報道した。
 昨年12月に29歳でこの本を刊行したアイリス・チャンは、中国のミサイル開発の推進者について書いた処女出版『蚕の糸』(1995)と同じように、この本も図書館の歴史の棚に静かに納まるものと考えていた。
 彼女は、自分も出版社もあまりの反響に「びっくりした」という。
 新著『ザ・レイプ・オブ・南京―第2次大戦の忘れられたホロコースト』は10週にわたって『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラー・リストにのり、出版後4ヵ月で12万5000部以上売れた。
 これは48年の歴史をもつニューヨークの出版社ベイシック・ブックス社の新刊としては、売り上げ部数の新記録である。
 著者が『ニューズウィーク』誌に抄録されたチャンは、「ナイトライン」や「グッドモーニング・アメリカ」など視聴率の高いテレビの全国番組に登場し、格式の高い研究会やフォーラムにも発言者として招かれるようになった。
 5月末までに、彼女はすでに50以上の都市をまわっている。
 ワシントンにある合衆国ホロコースト博物館で行われた彼女の講演会には大勢の人が集まり、2回目の講演会が計画されたほどであった。
 なかには彼女の本を大量に買って、図書館や学校に寄贈した人もいる。
 ハリウッドでは映画化の動きがあって交渉が進行中であり、シンガポールではミュージカルの上演が計画されている。
 訳書も日本、中国、その他の国々で出版される予定だ。
 日本ではチャンの本によっていくつかの深刻な問題が持ち上がっているが、アメリカでも最近、南京虐殺と日中戦争への関心がにわかに高まり、これまでに例を見ない事態になっている。
 この本が刺激的で読者の感情に訴える直接的な理由は、残虐行為の記述が恐ろしく生々しいことと、日本兵が30万人以上の南京市民を殺したというチャンの主張のためである。

 「中国人男性は銃剣の訓練につかわれ、首をはねる実験台になった」と書かれている。
 「推定2万人から8万人の女性が強姦された。多くの兵士が強姦以上の行為に走り、女性の内臓を抜き出したり、胸を切り裂いたり、生きたまま壁に釘付けにしたりした。家族の見ている前で父親に娘を強姦させ、息子には母親を強姦させた。生き埋めにしたり、去勢したり、臓器を切り刻んだりしたばかりか、鉄の鉤(かぎ)を舌に刺してつりし上げたり、腰まで地中に埋めた中国人をドイツ・シェパードが噛みちぎるのを眺めたり、極悪非道な拷問を行った。そのあまりの惨たらしさに、南京駐在のナチスの将校も恐れをなしたほどである。」

 この本で著者は、虐殺が日本でも西欧でも忘却のブラックホールに呑みこまれ、「忘れられたホロコースト」になりつつあると激しい主張を展開している。
 それがまた読者の感情的な反応を誘うのである。
 それだけに日本にとっては、いっそう厄介な問題である。
 南京で起こったことを押し隠そうとしたり否定しようとすることによって、日本人は「第2のレイプ」をしていると、チャンは告発するのだ。

 「南京虐殺のような事件が、どうして日本の(そして世界の)人々の記憶から消えるなどということが起こるのだろうか」と、チャンは著書の中で問いかける。
 さらに彼女は、石原慎太郎や藤岡信勝のように日本の戦争遂行を弁護する政治家や学者を批判する。
 例えば石原慎太郎の場合など、南京で起こった事実さえ否定しているのだ。
 彼女は日本の教科書があの戦争を糊塗(こと)していると言い、天皇や日本人を批判する人を極右主義者が暴力で脅迫していると指摘する。
 賠償を払って真摯に過去を謝罪するドイツとは比較すると、「日本の事実隠匿」は明白だとチャンは主張する。

 「日本が南京での犯罪について、謝罪を拒否したり犯罪の事実そのものを否認しようとし、極右主義者たちが世界史から虐殺の事実を抹殺しようとしているのは<第2のレイプ>である。世界が依然としてそれを黙って見ているのは遺憾だ」

 と彼女は書く。
 チャンによれば、この本の狙いは「日本国民があらゆる手を使って集団健忘症になり、いかにしてその状態を続けようとしているかを明らかにすること」なのだ。
 日本は実際に道徳的に裁かれたことのない無法者である。
 「戦争の世論という法廷に立って、戦争中の行動にたいし自責の念を表明していないという点では、ドイツと違って今日なお非道徳国家のそしりを免れない」というのが彼女の見方である。
 チャンは執筆中、日本に行かなかった。
 日本事情に通じている読者の多くは、彼女の書いている歴史や、今日なお過去の戦争に正面から向き合おうとしないという主張に驚くかもしれない。
 彼女の分析に賛成できない人にとって最も納得がいかないのは、この本が大衆に人気のあるばかりでなく、信頼されている学者や報道機関のお墨付きを集めている点であろう。
 序文に書いたのは、中国学者でハーバード大学歴史学部長んもウィリアム・C・カービーである。
 アメリカで最も影響力のある新聞『ニューヨーク・タイムズ』は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院ジャーナリズム研究科員で中国の専門家であるオーヴィル・シェルの好意的な書評を掲載した。
 ジョージ・ウィルは全国に配信され多くの読者を持つ彼のコラムの冒頭で、「いまアメリカで、うるわしいとも言える正義の行動が始まろうとしている」と書いた。
 5月初旬、中国系アメリカ人女性協会は、チャンを「ナショナル・ウーマン・オブ・イヤー」に選出した。

作家か歴史家か運動家か?

 このような権威に裏打ちされたことによって、彼女の本はアメリカばかりではなく、他の国々でも影響力を発揮することになるであろう。
 中国語訳はすでに台湾で発売されており、中国本土でも別の版の発行が予定されている。
 日本語版は9月か10月に柏書房から出ることになっており、その他スペイン語、ドイツ語、イタリア語、チェコ語への翻訳も進んでいる。
 アメリカではこの秋、ヴァイキング=ペンギン社からペーパーバック版が出るので、その時にもう一度ブームが予想される。
 チャンがしばしば公開の席に姿を見せることも、この本の与えたインパクトの大きさを物語っている。
 カリフォルニア大学サンディエゴ校の近くの有名な書店、D・G・ウィル・ブックスに彼女が現れると、チャンがまだ演壇に立たないうちに、本が売り切れてしまうという前代未聞の事態が起こった。
 こんなことはノーマン・メイラーやゴア・ヴィダル、オリバー・ストーンの場合でさえなかった。
 書店の経営者デニス・ウィラはその時の事をこう語った。
 「あれはすごい現象でした。何百回となくイベントをやりましたが、始まる前に本が売り切れたなんて、初めてです。」
 同じような話だが、学会で基調講演者が紹介されたとたんに喝采で迎えられ、花束を贈呈されるなどということは滅多に無い。
 ところが4月17日にカリフォルニア大学バークレー校で開かれた「南京事件」の研究会では、チャンが基調講演に行くと、それが現実となった。
 講演後よく聴衆の熱気に巻き込まれることがある、と彼女は最近のインタビューで語った。
 「入り口から溢れるほど人が集まるんです。私の肩により掛かって泣き出す人もいるし、ようやくこんな本を書いてもらえて本当によかった、おかげで中国系アメリカ人であることに誇りがもてる、と言ってくれる人もあります。
 誰もが、この本が出るのを60年も待っていたんです。」
 「私が会場に姿を見せると、あらゆる感情がこみ上げてくるのね」とチャンは続けた。
 「誰もが語り合いたい話をもっているんです。だから3、4時間後に会場を後にする時には、いつもくたくたです。」
 にもかかわらず、チャンは、多忙なスケジュールをこなす驚くべきエネルギーとスタミナの持ち主のようだ。
 頭はいいし話は明晰(めいせき)で、実に真摯に、信じ難い粘り強さで自分の仕事を続けている。
 自分の主張は道徳的に正しいという揺るぎない自信があるのだ。
 カリフォルニア大学バークレー校の研究会で基調講演をすませたあとも、彼女は最前列に陣取り、まるで熱心な学生のようにエネルギッシュにノートをとっていた。
 ラップトップのコンピューターでノートを取っていたのは、会場では彼女だけだった。
 ぐらぐらする大きなダンボール箱の上にコンピューターをのせて、まっすぐ背中を前屈みにし、注意力を集中して絶え間なくキーボードを叩く姿は、この仕事をやり通そうという彼女の決意を物語っているようで印象に残った。
 何がアイリス・チャンの運動に活力を与えているのだろうか。
 1つは彼女の生い立ちである。
 著書によれば、チャンの祖父母は日本軍による占領直前に南京を脱出している。
 イリノイ州の姉妹都市シャンペンとアーバナで育った彼女にとって、「南京略奪」は言語を絶する悪の象徴として、つねに心の奥底に沈澱(ちんでん)していたのである。
 しかしチャンは、それについてもっと知りたいと思って公共図書館に行ってみたが、何も分からなかった。
 現在、エンジニアの夫とシリコンバレーのサニーヴァイルに住んでいるチャンは、ここでも長い間、南京事件に関する英文の本を探していたが、1冊も見つけることが出来なかった。
 本を書こうとひらめいたのは、1994年、やはりシリコンバレーにある町キューバーディーノで開かれた日本の戦時中の暴挙に関する研究会に出席した時だった。
 そこで彼女は、数枚のポスター大の南京の犠牲者の写真を見たのである。
 それは「私がこれまでに見た最も陰惨な写真でした」と彼女は言う。
 「はねられた首、裂かれた腹、強姦者にさまざまな淫らなポーズを強いられた女性のヌード、彼女たちの苦痛と羞恥心で歪んだ忘れがたい表情、どれも白黒の鮮烈な映像だったんです。」
 写真を見て「目のくらむようだった一瞬」、彼女は突然、こんな虐殺が「歴史のただの脚注にされてしまう」のだろうか、いや、悪くすれば「世界中がいつの日か、南京略奪は嘘だと主張する日本の政治家の言うことを本当に信じてしまうかもしれない」と考え、自分が「パニックに陥っている」のを感じた。
 日本兵がほぼ7週間にわたって計画的に強姦や拷問を繰り返し、30万人以上の南京市民を殺害するという「世界史上まず類がないほどの残酷な乱行」を、世界に知らせなければいけない、と彼女は考えたのである。
 それから2年間、彼女は事件当時南京に滞在していたアメリカ人宣教師など、外国人の日記を調べた。
 多くの中国人に話を聞いてまわり、生き残った少数の中国人とも話した。
 古い新聞記事を収集したり、何人かの日本軍退役兵の残虐行為に関する告白を集めたりもした。
 この間に彼女は、南京の国際救援セツルメントの指導者でナチ党員だったジョン・ラーベの日記を発見した。
 これはそれ自体が、国際的にニュースになる発見だった。
 こうした準備の結果生まれた彼女の著書は、英語で書かれた南京の悲劇に関する最初のドキュメントとなった(ある批評家はしかし、最初の著作という名誉は、『マンチェスター・ガーディアン』の記者だったH・J・ティンパーリーの1938年の著書『戦争とは何か―外国人の見た日本軍の暴行』のものであると言う)。
 チャンの大きな問題点の1つは、政治運動に対する彼女の役割がはっきりしないことである。
 ジャンヌ・ダルクほどではないにしろ、運動団体は彼女を長いあいだ待望していたヒロインにまつりあげてしまった。
 彼女の本質は歴史家ないし作家なのか、それとも政治運動家なのか。
 彼女が中国系アメリカ人の道徳的な怒りの権化であることは言うまでもない。
 彼女に本を書くことを思い立たせ写真が展示されていたキューパーティーノの集会は、結成7年目の第二次大戦史保存世界連盟が後援した催しだった。
 彼女はこうした中国人あるいは中国系アメリカ人の団体代表とともに公開の場に姿を現すことが多い。
 カリフォルニア大学バークレー校の集会では、彼らはポスターとテーブルを戸外に置き、パンフレットをを配り、ビデオや彼女の本を売った。
 「多くの人が私を単なる著者ではなしに、盛り上がりつつある運動のリーダーだと見ているんです」とチャンは言う。
 イリノイ大学でジャーナリズムを専攻した彼女は、1989年の卒業の年から1990年にジョンズ・ホプキンス大学大学院に入学するまで、ごく短期間『シカゴ・トリビューン』とAP通信社で記者として働いていた。
 チャンは、いまだに正されることなく不正が続いているという怒りの感情を運動団体の人々と共有していることは認めたが、いまでも自分の「本質はもの書きである」と考えている。
 どんな催しの場合も、彼女の本は日本の侵略に対する中国人の積年の恨みと、それが充分に認められもせず、償われてもいないという感情にはけ口を与えているようだ。
 (1998年)4月24日にサンフランシスコ大学で開かれた「日本人の戦争記憶」というアカデミックな集まりでは、1997年に実施された中国の若者の意識調査の結果を、著名なアジア学者チャールズ・ジョンソンが報告した。
 「日本という言葉を聞いて、84パーセントの若者は南京略奪を思い浮かべるにたいし、日本の家電製品を連想する者は49パーセントでしかない」。
 こうした日本観は、若いチャンも継承している。
 彼女の父と母はアメリカで大学教授となり、虐殺は見ていない。
 しかし、日本人が「赤ん坊を真っ2つどころか3つにも4つにも切り刻み、揚子江が何日も血で真っ赤に染まった」と両親が話すとき、怒りで声が震えていたのを思い出す、とチャンは書いている。

賛否両論

 問題は、彼女の告発が妥当かどうかである。
 『ザ・レイプ・オブ・南京』は真空状態の中に存在するのではなく、アメリカ人の南京虐殺への関心の高まりの中で先導的な役割を演じているのだ。
 アメリカでは去年(1997)、数多くの研究会、2編の小説、1編のノンフィクション、1冊の大きな写真集、それに多数のインターネットの情報ページで南京事件がテーマとして取上げられた。
 「歴史上これほど南京事件、つまり虐殺について多くの研究が行われたり、論議が活発になったことはかつて無かったと思います」とカリフォルニア大学バークレイ校東アジア研究所長代理で同大学南京問題研究会のオーガナイザーであるアーウィン・シャイナー教授は言った。
 この研究会で基調講演をしたチャンについて『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』誌は、「日本人が責任を認め、大勢のアメリカ人が認識を改めるよう要求する運動の急先鋒である」と報じた。
 こうした関心がなぜいまアメリカで高まっているのか。
 同誌の記者マット・ミラーは、「チャンと彼女の本は、アメリカの注目すべき動きを物語るものだ」と言う。
 アメリカで増加の一途をたどっているアジア系の人々の、自分たちの歴史を持ちたいという切実な願望の現れだ、と彼は書いている。
 その理由が何であれ、日本の戦争責任をめぐる議論は高まる一方で、いまやチャンの著書への関心という域を超えている。
 アジアの経済大国である日本が周囲の国々の許しを得られないかぎり、日中関係の見通しもこの地域全体の将来も依然として暗い、と多くの人が考えている。
 チャンの本に序文を寄せたカービー教授は、「60年たった今でも、南京虐殺の亡霊が日中関係につきまとっている」と書いた。
 これは多くの人に共通する感情であろう。
 天安門事件の報道でピューリッツアー賞を受賞した『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長ニコラス・クリストフは、この点についてもっと直截的な記事を書いた。
 「日本がごめんなさいと言いにくい事情が、今日、アジアの政治状況に大きな影を投げかけている。多くの中国人と韓国人が日本人を憎んでいる理由の1つが、そこにあるのだ。」
 「戦争は過去においてのみならず、これから先の数十年、東アジアの重大な問題の1つです」と、クリストフはあるインタビューで語った。
 「もしアジアにまた戦争があるとすれば、その原因はこれから起こる対立ばかりではなく、1930年代と40年代にルーツがあるでしょう」。
 チャンによれば、日本が戦争による根深い傷を癒してアジアのコミュニティに受け入れられるためには、南京で犯した罪を告白して謝罪し、生存者に賠償金を支払うとともに、戦争中に自国が犯した罪悪をこれからの世代にはっきりと教え込む必要があるという。
 チャンの著作が抱えるべき大きな問題は、当然のことながら、彼女の描いた日本像が正確かどうかである。
 歴史書に最終的な裁定を下すのはおそらく学者であろう。
 すでにこれまでも、重大な反論を呈して激しい議論を呼んでいる歴史学者がいる。
 当然予想されるところだが、争点の1つは虐殺の規模である
 問題にされているのは殺された人間の数(推定には3万から45万までの幅がある)と、チャンがあげた証明のいくつかの信憑性である。
 歴史的背景をめぐる彼女の解釈に異議を申し立てる人もいる。
 チャンは戦時中の日本に先立って存在した力について、この国を強欲な怪物にしてしまった向こう見ずな軍国主義に鼓吹しか視野にないという批判である。
 多くの書物と同じように、彼女の本にはいくつかの誤りがある。
 1938年に傍受した外務大臣広田弘毅の秘密電報を、彼女は日本軍部隊が「フン族のアッティラ王を思い出させるようなやり方で30万人以上の中国市民を殺戮した」動かしがたい証拠として取上げている。
 しかし、ハーバード大学でPh.Dを取得し、ジョージ・ワシントン大学で日本近代史を教えている南京生まれのダキン・ヤンがカリフォルニア大学バークレー校の研究会に提出した論文によると、広田は実際には『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパーリーの書いた電報ニュースを中継したにすぎない。
 また他の箇所で、日本は「非戦闘員を恐怖に陥れる手段として、タブーを破って初めて空軍力を使った国として悪名高い」と書いているが、歴史学者バーバラ・タックマンのピューリッツアー賞を受賞した『八月の銃』によると、空軍を最初に使ったのは第1次大戦中のドイツである。
 しかし、南京大虐殺が近代の蛮行の中でも最悪の例だという点では、批評家の意見はほぼ一致している。
 被害者数の数そのほか細かい点はさておいて、論議が集中しているのは虐殺が「忘れられたホロコースト」であり、日本は戦時中の南京略奪を覆い隠そうとすることによって「第2のレイプ」を犯そうとしているというチャンの主張をめぐってである。
 彼女の主張は感情的であり、その言い分や取上げた事例には偏向があると批判する人もいる。
 例えばこの本では、戦争に関する日本の記憶喪失ぶりを示す例として、高校生が日米間に戦争があったことすら知らず、どちらが勝ったか知りたがったというある高校教員の発言を引用している。
 そして講演では、日本の大学教授も学生から同じ質問をされたというエピソードを聴衆に紹介した。
 彼女を批判する人々はまず第1に、日本では戦争も南京事件もとくに隠蔽されてはいないと言う。
 カリフォルニア大学で歴史を教えているアンドリュー・バーシェイ教授は、何百万という発行部数をもつ新聞や雑誌ばかりでなく、歴史として広く読まれて影響力が大きい教科書も、敗戦の1945年から数十年、読者に南京虐殺を詳細に知らしている、と『ニューヨーク・タイムズ』紙に投稿した。
 それはチャンの著書に対する『タイムズ』紙のあまりに好意的な書評への彼の反論であった。
 近年、日本で南京虐殺をめぐる論争があったことは、日本人の読者なら当然知っているはずだ。
 これは、戦争中に何が起こったかを探るばかりではなく、現在の日本人に過去を洞察する能力があるかどうかをめぐる論争でもある。
 柏書房の山崎孝泰編集長は、「どうやら南京が、記憶と国民とのアイデンティティをめぐるバトルフィールドとして浮上してきたようです」と言っている。
 アメリカの書評では、チャンの南京虐殺とヨーロッパのホロコーストとの比較が批判されている。
 アメリカン大学名誉教授で元国務省の日本通リチャード・フィンは、ジョージ・ウィルのコラムへの反論を『ワシントン・ポスト』紙に書き、南京の事件をホロコーストと呼ぶことに反対した。
 いくら途方もないとはいえ、南京での虐殺を600万人のユダヤ人が殺されたホロコーストと同一視することはできない、というのである。
 『ニューヨー・リパブリック』誌のシニア・エディター、ジェイコブ・ハイルブランも、ホロコーストは政府主導のジェノサイドの代表的例であり、「ユダヤ人を最後の1人まで殺そうという計画的な試み」だったから、チャンの比較は「理解に苦しむ」と言っている。
 チャンが南京事件に「ホロコースト」という言葉を使ったのは、「どうみても恐怖ということだけで異質なものを一緒くたにしたやり方」であり、「大衆の恐怖心を大衆向けに梱包して市場へ出す」典型的な例だ、とサンフランシスコ大学で開かれた日本の戦争記憶に関する研究会でハイルブランは聴衆に語った。

デイビッド・ケネディの書評

 おそらくチャンの著作に対する最も詳細で優れた批評は、スタンフォード大学の歴史学者デイビッド・ケネディが権威ある『アトランティック・マンスリー』誌に書いた書評であろう。
 アメリカ史の専門家ケネディは、この本は南京で起こったことの記述としては正当性を持つが、なぜこうした事態が起こったかの説明としては失敗だと言う。
 この本を支配しているモチーフは「分析と理解というより、むしろ告発と憤慨だ」というのが彼の結論である。
 「日本が戦時中の犯罪について遺憾の意を表明したことは周知の事実であり、執拗に犯罪行為を認めることを拒否してきたというチャンの主張は、全面的に正しいとは言えない」とケネディは書いた。
 この問題は歴史教科書の問題ともからんで斎藤大使をはじめとする日本政府の関係者たちも激しく反発し、チャンを批判した点である。
 日本は過去に侵略行為を行ったことを1度ならず認めて遺憾の意を表明したのであって、終戦50周年の際に村山富市元首相が「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明したことはよく知られている、と日本政府の関係者は言う。
 村山首相の声明はいまでも日本政府の公式見解であり、政府を代表するとは言えない政治家たちの無責任で偏向した発言のほうを報道機関が重視したとしても、それは政府の責任ではないと言うのだ。
 また西欧のマスコミが、ワルシャワのゲットーでウィリー・ブラントが跪(ひざまず)いたと報じ、去年9月に満州の戦争博物館を訪問した橋本龍太郎首相は跪かず、5月に自民党の野中広務幹事長代理が南京を訪れて犠牲者の記念館で花束を捧げたと報じても、そこまでいちいち責任はもてないという。
 こうした点を攻撃されると、チャンには弱点がある。
 彼女は日本政府の公式見解を示した村山首相などの弁明には触れずに、南京虐殺を否定したり、日本がアジアを西欧の植民地主義から解放しようとしたと主張する数人の大物とは言いがたい政治家の発言を引用しているだけだからだ。
 それらはほとんどみな政府が批判した発言ばかりである。
 チャンの著作を批判する人たちは、彼女が日本政府の公式見解を載せていないのは読者を誤らせる偏向だと攻撃する。
 こうした批判に対してチャンは、公式弁明がすべての戦争犯罪を包含すると政府の役人は言うが、一度として日本は南京虐殺について謝罪していないと反論する。
 南京虐殺は他のケースよりはるかに残虐であり、南京のための特別の謝罪が必要だというのが彼女の言い分なのだ。
 賠償については、1972年の協定で中国が要求を破棄した時点で問題が解決していると日本政府が主張するのに対して、チャンは、中国政府が日本という豊かな国と友好関係を築いて経済援助を得たいために、犠牲者を裏切ったのだと主張する。
 また教育の問題については、日本の政府関係者は、現在使われている教科書は率直に南京事件や日本のアジア侵略を認めており、政府は第2次世界大戦に関する真実を記録する目的で、研究と研究者の交換を奨励しているという事実に言及している。
 なかには、国家主義的偏向は日本の歴史書ばかりでなくアメリカの歴史書にも見受けられる、とチャンの著作を批判した人もいる。
 しかしこの問題に関心をもつ人の多くは、教科書に載っている戦争の反省やこれまでの政府の対応についての記述は短いもので、政府は問題を比較的閑視してきた過去数十年の実態を修復しようとするなら、いま以上に何らかの対策をとる必要があると考えている。
 研究者や著述家のなかには、南京虐殺がマスメディアで盛んに論議されているにもかかわらず、日本の一般大衆がこの事件についてまだ充分な認識を示していないのは、事件が実際に起こった時点で国民の手段的な記憶になっていないからだと言う人もいる。
 そのために事件そのものの存在を疑われたり否定されたりしやすいというのである。
 興味深いことに、こうした意見をアメリカでの議論に持ち込んだのは、アメリカ人ばかりではない。
 少数だが日本人もいた。

石川達三まで紹介されている

 南京事件に関する著書があり、家永三郎の歴史教科書検定をめぐる長い法廷闘争を支持してきた笠原十九司宇都宮大学教授は、カリフォルニア大学バークレー校の研究会でこう語った。
 「今日、良心的な歴史研究者なら、南京虐殺という事実を否定することはできません。しかし、それにもかかわらず私たち南京虐殺の事実を認めている者が、それを<幻影>だとか<でっちあげ>だとマスコミで叫ぶ歴史の専門家ではない学者、批評家、ジャーナリストたちの声に圧倒されている観があります。」
 自民党の国会議員の中の「有力者」も、南京事件の否定に一役買っていると彼は言う。
 戦時中の検閲制度のため、「日本国民は当時、南京虐殺の真実を知ることができませんでした」と彼は語った。
 虐殺は「リアルタイムで記憶されることのない出来事となり、現実的な歴史感覚から抜け落ちてしまったのです。このことが後に日本人が南京虐殺を理解する障害になり、否定論を受け入れやすい心理的傾向につながっているのではないでしょうか」。
 バークレー校の研究会で研究発表をしたもう1人の日本人ハルコ・タヤ・クック(1992年に刊行されて好評だった日本人からの聞き書き史『戦時下の日本』は、彼女と夫のセオドア・クックとの共著である)は、戦時中の検閲に関する注目すべき例を紹介した。
 第1回芥川賞を受賞した作家・石川達三のある小説が検閲で闇に葬られた話をして、聴衆の関心を集めたのである。
 石川は雑誌『中央公論』の委嘱で南京の取材に行き(中央公論社特派員)、戦場の兵士の実像を書いた。
 クックの発表を聴いた人々の熱意は、いまアメリカ人が戦時中の日本について、いかに細かな点にまで興味を持っているかを端的に示していた。
 チャンは、石川達三の話を聞けたのが会議での最大の収穫だったという。
 当時32歳だった石川達三は、日本軍による南京占領のおよそ1ヵ月後、1938年1月8日から15日までのわずか8日間だが、南京で正規兵にインタビューした。
 クックは研究会でその時の石川のことを話した。
 彼は東京に飛んで帰り、睡眠時間以外はほとんど机の前を離れずに、11日間で330枚の小説生きている兵隊を書いた。
 ある歩兵小隊を対象に、1人1人の兵隊の行動と精神状態に焦点をあわせた彼の作品は、兵士たちが戦争によっていかに生命とモラルに対する崇敬の念を失うかを語っていた。
 「彼らは人間であることをやめ、まるで兎を追う犬のようになっているのです」とクックは言った。
 小説の中で彼らは犬が兎を追うように女を探しまわって虐殺したり捕えたりし、家々に放火して非戦闘員の中国人男女まで殺害したのである。
 1925年施行の治安維持法に違反した作家たちの作品を発表したため、リベラルだと見られていた『中央公論』の編集者と発行人は、「そうした批評をこの機会を利用して消すべきだと考えたので、彼らが最も危険だと判断した個所を注意深く削除した」とクックは発表した。
 例えば具体的な地名や強姦の様子などである。
 こうして一部削除された小説は、『中央公論』の1938年3月号に100貢以上にわたって掲載された。
 ところが政府は、それを発禁処分にしたのである。
 石川は起訴され、禁固4ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。
 編集者と発行人にも同じような判決があった。
 クックによれば、日本人の戦意を低下させるような作品をなぜ書いたのかと法廷で尋問された石川は、日本国民が兵隊を美化し、まるで神でも見るように神聖視しているからだと答えたという。
 「彼の答えは、国民に前線で起こっていることを知って欲しいということだったと思います。・・・実際、そうすることによって、私達はこの戦争を理解できるのですから」と彼女は語った。
 クックは、石川の描写が「前線で実際に起こったことと非常に近いように自分には思える」とも語った。
 彼女は石川の記述を南京の第16師団第30旅団支隊長、佐々木倒一の1937年12月13日の日記と比較した。
 「その後、俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮す。多数戦友の流血と10日間の辛惨を顧みれば、兵隊ならずとも『皆やってしまえ』と言いたくなる」。
 クックは彼女の発表をこう結んだ。
 「チャンは、南京で起こったことがなぜ私達の記憶から抜け落ちているのかという問題を取り上げました。その一因として、石川の小説の場合のような検閲が重要な役割を果たしたに違いないのです。日本の国民はこの種の作品を読む機会がありませんでした。そのためにあの戦争が、その時代の記憶として残らなかったのです」。
 多くの人が、ドイツと比べ日本人が自国の戦争責任と正面から取り組むことに失敗しているのは一目瞭然だという。
 「日本の場合に欠けているのは、単なる言葉だけの謝罪ではなく、政府指導者たちが率先して示すべき国家としての反省とでもいうべき問題である」と、中国研究家シェルは『ニューヨーク・タイムズ』誌の書評に書いた。
 「ドイツ人は歴史研究、映画、文学、哲学、宗教、政治学などを通して、なぜホロコーストが起こったかを理解し、自らの罪を洗い清めた」。
 日本の社会は「いまだにこうした努力をしていない」と彼は言う。
 しかし、この問題も微妙である。
 ケネディは日独の比較を再点検する必要があるのではないかと示唆している。
 日本が執拗に過去の戦争と向き合うことを拒否しているという非難は、「最近では西欧の日本批判の決まり文句になってしまった。その最たるものはイアン・ブルマの日本とドイツに戦争に関する記憶を比較研究した『戦争の記憶の代償』(1994)である。この本の論点は、ドイツは多くを記憶しているのに日本は何も覚えていない、という一言で要約できるだろう」とケネディは言う。
 日独の比較に問題を感じているのはケネディだけではない。
 日本の高齢人口増加問題の専門家で、現在は日独米の戦争の記憶を研究しているピッツバーグ大学準教授アキコ・ハシモトは、サンフランシスコ大学での研究会で、「この部屋に集まっている私達は全員、ドイツが日本より過去の問題にしっかり取り組んだという点で意見が一致すると思います」と発言した。
 しかし、ドイツと日本で育ったハシモトは、日独の賠償と謝罪をめぐる政策は両国の戦後の復興の全く違う経過のなかで形成されたという事実を指摘した。
 9ヵ国と国境を接している大陸国家ドイツが近隣国と和解する政治的必要性があったのに対し、中国その他の共産主義国家との冷戦でアメリカの同盟国となった島国日本には、そんな必要がなったのである。
 ドイツが自らの過去を否定することで償いをしようとしたのにたいし、日本は、これまでのところ十分に成功を収めた戦略とは言えないが、戦争を放棄して平和国家になることによって過去を償おうとしたのである、とハシモトは言った。
 ハイルブランはさらに厳しい批判をした。
 「ドイツでは、私の見るところ、日本の愛国者が自国について憂慮しているような事態が現実に起こっていると思います」と彼はサンフランシスコ大学の研究会で発言した。
 ドイツではホロコーストが「脅迫観念みたいなもの」になってしまい、若者は「身の回りで起こったことに対応できず、自分で事態に対処する責任をのがれる手段としての親のホロコーストを持ち出す」。
 そればかりではなくホロコーストは、「いかなる国際的責任をも回避する外交手段として、政府に意図的に利用されてきました」と彼は語った。

日中関係にどう響く

 アメリカでは、ハイルブランのような日本の愛国者の懸念に好意的な論調は極めてまれである。
 アメリカ人は自分の祖国に誇りを持つために、戦争を体験した退役軍人やその家族の気持ちをくみ取る必要があることはすぐに理解できるのだが、そうした感情が日本でも1つの無視できない力なのだということは、どうも理解しにくいらしい。
 ドイツがホロコーストを外交の手段として利用しているというハイルブランの主張は、深層心理的な意味で、この種の論議で繰り返し言われてきた。
 過去を記憶するということが、一種の式次第になっているのである。
 ジョージ・ワシントン大学の日本学者で現在慶応大学の客員研究員であるヤンは言った。
 「いまでは政策的に戦争の記憶を語るがごとく当たり前になってしまい、多くの場合、それは政治的、イデオロギー的目的のために歴史の記述や記憶を操作することを意味している」。
 ケネディはチャンの著書に対する辛辣(しんらつ)な書評の中で、「受難の歴史を巧妙に語ることは、悪を生み出す人間の心理を理解するという、歴史の果たすべき最も重要な役割を放棄してしまうことになる」と警告している。
 こうした皮肉な見方をすれば、チャンの動因ばかりか、すべての動因は胡散臭いということになる。
 東京をベースに活躍しているある西欧人のジャーナリストは、チャンが南京事件をホロコーストと呼んだのは、他のマイノリティと同じように中国系アメリカ人も犠牲者であり、それを認知して欲しいという彼らの要求を正当化するのにもってこいの苦情の種を与えるためだ、と言っている。
 こうした観点から見れば、中国政府の日本批判の真意もいかがわしい政治的強奪行為だということになり、日本の国際的影響力を弱める一手段にすぎないと言える。
 同じように、日本の政治家の戦争についての謝罪発言や中国訪問も、外国の批判をかわしたり、中国の対日感情を好転させたり、社会党に自民党を支持してもらったりするための、やはり政治的な動機がからんでいるということになるであろう。
 この問題に関連して元国務省の日本通フィンは、アメリカ人学者の議論は「中国派」と「日本派」に分裂している、と語った。
 彼ははっきり自分が「日本派」だと名乗った上で、こう言ったのだ。
 「私達は客観的なふりをしてみたところで、所詮自分が住んだり、一番良く知っている国に親近感をもつものですよ」。
 南京事件をめぐる論争が先入観と秘められた政策の温床になっているとしたら、いったい何が真摯な発言で、何が世論の操作を目的とした作戦なのか。
 我々はどうやってそれを見分けたらよいであろうか。
 実態はおそらく、両方の要素が絶えず揺れ動く、しばしば計り知れない曖昧な境界のなかで働いているに違いない。
 しかし大切なことは、南京で起こった虐殺がどのようなもので、どんな規模だったかなど、事実に基づく議論の共通の場を築くことだという点で、おそらく多くの人の意見は一致するであろう。
 日本と中国の研究者に是非やってもらいたいことは、公式な共同研究につながるような交流である。
 これには成果が期待できる。
 フィンは、チャンにも日本へ行って欲しいと言っている。
 「彼女のためにも、そしておそらく日本のためにも、それがいいことだろうと思うようになった」と彼は言う。
 『ヒトラー処刑論者』を書いたダニエル・ゴールドヘイガンはドイツへ行き、ドイツ各地をまわって人々に語りかけたのである。
 チャンは、日本語版が出版される時点で訪日するかどうか、まだ決めていないと言う。
 これまで彼女が日本に行かなかった理由については、日本がいかに戦争中の過去に直面するかという問題は「自分の研究の主要な問題ではなく、もし日本で取材したりしたら、『ザ・レイプ・オブ・南京』はとても1冊には収まらなかったでしょう」と語った。
 そして彼女は、多くの評論参加者が同意するような、こんなコメントをつけ加えた。
 「日本に行く行かないはともかく、南京虐殺は刺激的な問題で、今後も研究を続けるに値することは確かです」。

 (訳・鈴木健次)


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