チャン氏の著作に"歴史の偽造"

東中野修道亜細亜大学教授

産経新聞平成10(1998)年4月8日より

(HP作者注:この戦車に関する研究・発表を98年にプロパガンダ写真研究会にて行ったのは、岩田義泰氏です)
※当時、東中野修道亜細亜大学教授は写真の検証は一切行っておりません。


南京戦当時は全く使用されていなかった97式軽装甲車

 今、全米で話題になっているというアイリス・チャン「南京の強姦−第二次世界大戦の忘れられた大虐殺」を米国から取り寄せ、読んでみた。
 読んでみて多くの疑問を覚えた。ここにその疑問のほんの一端を記したい。

 (1) まず、基本的な史実に誤りが実に多い。例えば、昭和12年12月13日の南京陥落が12日夕方の陥落と記されている、などなどである。

 (2) 次に、南京の人口は国際委員会委員長ラーベが記したように、陥落時20万であった。虐殺があったならば、人口が減少するはずだが、翌年1月には25万人に膨張する。
 ところがアイリス・チャン氏はこれを無視して、26万人から35万人が虐殺されたと主張する。数字からしても、おかしい。

 (3) そして「いつ、どこで、だれが写したのか」全く不明の写真が数多く収録されている。その中の1つに戦車が火炎放射器で民家を焼いている写真があり、「虐殺の間、南京の3分の1が放火で破壊された」と写真説明が続く。
 この写真の戦車は調べてみると「97式軽装甲車」と判明した。
 97式軽装甲車は昭和12年(皇紀2597年)に型式が制定されたが、生産開始は早くて翌年以降であった。
 従って、昭和12年、南京に97式軽装甲車があるはずもなく、しかも97式軽装甲車には火炎放射器は装備されていなかった。

 (4) 最後に、日本軍は、捕虜の目玉をえぐり出し、耳と鼻を切り取り、生き埋めにして戦車でひき殺し、虐殺した。また女性を強姦して、被害は2万件に及んだ。その3分の1は天下の公道のど真ん中、公衆の面前で、公然と行われた、と主張されている。

 しかし南京城内は城内の一角の安全地帯がすし詰めで、それ以外は無人であった。南京で犯罪が起きたとすれば人のいた安全地帯で起きたことになる。
 そこで中華民国の国際問題委員会の作成した公式記録「南京安全地帯の記録」を開いてみると、殺人は真偽取り混ぜても25件(被害者51人)で、しかも目撃は2件(すべて合法)であった。
 強姦は未遂を含めても7件であった。
 従って蒋介石は、南京虐殺ではなく広東虐殺なるものを国際連盟に訴えた。毛沢東は南京の日本軍は「包囲は多いが、殲滅(せんめつ)は少ない。まずかった」と講演しているのである。
 チャン氏の言う、強姦2万件、虐殺35万人という記録は当時の記録にはない。これを歴史の偽造というのではないか。


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