チャン使用写真のウソ(その1)
写真1 | 写真2 |
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アイリス・チャン著「THE RAPE OF NANKING」の中には上写真1、2の解説に
『南京市民の死体は揚子江岸に引きずられ河に投げ込まれた。(村瀬守保)』 写真1
『
南京の北側の波止場、下関(シャーカン)で処理を待つおびただしい数の死体(村瀬守保)』写真2
とある。がこれらの写真については以下の事が判明している。
(場所)下関近くの揚子江(長江)岸
(撮影時間)特に明記されていない。
(撮影者)故村瀬守保(東京目黒輜重隊)
この写真は昭和58年(1983)8月16日付けの「毎日新聞」において「南京大虐殺は事実だ/証拠写真を元日本兵が撮影していた」と初めて公表された。
ところが、撮影者・村瀬守保氏(現在は故人)自身は撮影場所を揚子江岸と述べているだけで、どこで撮ったかをあいまいにしていた。
だが、この死体は戦闘後約一週間以内のものと思われる。
その理由は通常、水死体というのは死体が水を含み、一週間程度で体内に腐乱ガスがたまり、体が風船のように膨らんだのち浮かび上がる。 ところがこの死体はガスが発生した様子は見あたらない。つまり戦闘後数日から一週間以内と言える。(昭和12年12月13日〜20頃までの間と推定できる)
これら支那兵は南京城を脱出した支那兵であろうと考えられる。
当時揚子江(長江)岸周辺の死体は2種類あり、南京城内から脱出し、揚子江の対岸に逃れようとした支那兵と国際法違反の便衣兵(ゲリラ)が処刑されたものの2種類である。
この死体を良く見ると、戦闘服とゲートルを見る事が出来る事や筏(いかだ)に使用したであろう木材も目に付く、つまりこれらは南京城から対岸に逃れようとして、日本軍に追撃され戦死した支那兵と断定できる。
さらに、この写真についてかつて評論した人がいる。昭和12年(1937)南京戦において南京城南方から揚子江岸沿いに進撃し、下関に至るまでの戦闘を経験している鹿児島第45連隊・第11中隊大薗大尉指揮下の元中尉(南京戦時)高橋義彦氏(愛知県在住)である。氏はこの写真を一目見て、
「これは新河鎮における戦闘の中国軍兵士の戦死体の写真です」と証言する。
筏(いかだ)で逃げる敗残兵 |
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高橋氏はこの時の戦闘をこのように証言する。昭和12年12月13日、新河鎮において夜があけたら船にのり、揚子江岸を下り下関に進撃の予定であったが朝6時頃に突然、支那軍による総攻撃を受けた。
「私共は、大砲の弾がある限り零距離射撃を行いました。1回に100名位の敵兵が空中に吹き飛びますが、敵はここ新河鎮を抜けなければ逃げ道が無いので死にものぐるいでした。
朝6時から11時頃まで乱闘となり、道路以外の湿地帯も敵味方の死体で埋め尽くされ、枕木代わりに人体が使われ、死体や負傷者の上での戦闘は地獄そのものでした。
勝利を確信したのは、11時頃から敵は裸になって河に飛び込み始めました。
それを陸から射撃しました。まるで海水浴場を機関銃で撃つような光景でした。
下流を見渡したら、川岸に陸揚げしてあった木材を兵のベルトや馬の鞍の皮などで結んで筏(いかだ)を作り、それに乗って対岸にわたり始めたのです。
我が野戦重砲の15センチ榴弾砲の部隊がその筏(いかだ)を集中砲撃しました。
気球を上げて観測しているので百発百中、揚子江は血の河と化し、戦死者や負傷者が視界を埋める水上光景で揚子江は地獄と化しました。」
これら2つの写真について高橋氏はこう述べる。
「写真は新河鎮の陸地戦場内のものではない。」
裸の写真もあるので新河鎮、揚子江上で戦死またはおぼれた者と思われる。
死体の方向が一定であり、死体の吹き溜まりと思う。
もう一枚の後方に木材が写っている写真(写真2)は高橋氏が南京での経験上下関付近か、三叉河と考えられる(材木置き場の景色と写真内容で判断)と述べている。
揚子江に死体が流された可能性が考えられるのは一つは先に述べた、新河鎮であり、もう一つは南京陥落後に行った安全区内での便衣兵の摘発後の処刑である。
新河鎮の戦いで河に流れた死体は正規の兵隊のものであるから戦闘服を着ていることは容易に理解できる。
だが下関での便衣兵の死体は平服を着ていたが為に国際法違反の罪により処刑された合法行為である。
つまり、仮に下関で処刑された便衣兵と仮定したとしても水死体の服装は平服でなければならない。 だが、これらの写真をみると服は戦闘服を着ている、つまり新河鎮の戦闘においての戦死体である。
結 論
これら写真に写っている死体は間違いなく、南京戦における支那軍正規兵の戦死体である。死体は戦闘服を着ている。つまり、キャプションでは「南京市民」と書かれているが南京戦における正規の戦闘においての戦死体であり、「南京大虐殺」時の南京市民殺害の証拠写真としている「レイプ・オブ・ナンキン」の解説は全くの間違いである。