「反日漫画家」本宮ひろ志を許すな!
 南京大虐殺プロパガンダとしての「国が燃える」の内実

 本宮ひろ志という漫画家が「国が燃える」(集英社「ヤングジャンプ」)の中で「南京大虐殺」を描いている。
 まず、東京裁判で「A級戦犯」として起訴され昭和二十三年十二月二十三日に処刑された松井石根大将の言葉が引用されている。
 「南京事件ではお恥ずかしい限りです…」「私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った…」「私だけでもこういう結果になるという事は当時の軍人達に一人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい…」
 本宮は言う。「昭和十二年十二月十三日、日本軍は中国国民政府首都・南京を陥落。
 その作戦中の数日間に、南京では、人類が絶対に忘れてはならない日本軍による愚行があった。いわゆる“南京大虐殺事件”である」
 そして「兵士の証言」らしきものが語られる。「その頃ワシは南京城外にいたんだが、片っ端から殺したよ」「耳をそぎ取る、鼻を切り落とす…」「口の中に帯剣を差し込んで切り開く…目の下を突くとドローンと白い液が流れてくるだよ…」「年寄りから十二、三の子供まで片っ端から全部姦(や)っちまった…」「姦(や)った後は大抵殺しちまったよ。生かしておけば強姦だが、殺しちまえば残敵掃討だ…」「女を柳の木に縛り付けてね、両足首をロープでくくって二頭の馬の鞍に結んでな…。両方からムチをくれると股から裂けて乳房あたりまでまっ二つだ…」「殺し、放火、強姦…何でも片っ端からやれって俺たち兵隊は上から命令されてたぜ…」
 中国人殺戮の現場を見ていた一人の日本人が「これが日本人の正体か」と怒り、近くにいた日本兵に「俺の名は松岡洋平っ、軍総司令官松井石根をここへ呼んでこい」と叫ぶ。
 本宮は「ひとりの人間として絶対に事件を許すな」と書く(十月七日号)。
 「中支方面軍司令部」の一室で、松岡なる男は松井大将を詰問する。
 「南京で日本軍がやっている事はいくら隠しても世界中の知る事となり、世界の国々が例え黙認しようが断じて神が許さん」「すべての責任はあなただ」「中国は四億の民が最後の一人になろうと断じて日本に屈服はしない」「この俺もアジア人として大アジアの敵、日本という狂犬に百万回噛み殺されようが蘇って戦いつづける…」(十月十四日号)
 昭和二十二年生まれの本宮ひろ志は「男一匹ガキ大将」「サラリーマン金太郎」などの漫画も描いている。
 荒唐無稽な「正義感」を振り回すのは結構だが、あまりにヒドイ「反日漫画」である。
 「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と断っているが、松井石根大将は実在の人物である。
 松井大将の言葉も「正確」に引用されている。
 また残虐な情景の多くは「実際の写真」を加工している。
 その上で「地獄と化した南京の街…。民が受けた傷は何千年の恨みと化すのだろうか…」と書くのである。
 数多くの問題点があるが一点だけ指摘しておこう。
 
 引用されている松井大将の言葉は、漫画で描かれているように東京裁判の法廷で大将が述べた言葉ではない。
 この言葉は処刑の直前(昭和二十三年十一月二十三日)に教誨師の花山信勝に語った(とされる)言葉である(『平和の発見』朝日新聞社、昭和二十四年刊、229頁)。
 ここで松井大将は「慰霊祭」も「シナ人の死者と一緒に」と言ったが部下の師団長らに反対されたと述べている。
 大将はかつて従軍した日露戦争と比較し、支那事変を「武士道という点」では「全く変わっていた」とも述べているが、いわゆる南京大虐殺を認めたわけでは断じてないのだ。
 昭和二十一年三月から四月に行われた「検事取調」で大将は次のように陳述している。
「南京事件に関しては我軍による少数の暴行強姦については之を認めたるも『虐殺』は断じて之なし」「派遣将兵の一部に風紀上の欠陥ありたるは之を認めたるも、一般軍紀の弛緩せる事など絶対になし」
 松井大将は南京占領に先立って次のような訓令を出していた。
 「部隊の軍規風紀を特に厳重にして、中国軍民から皇軍の威風に敬仰帰服させ、いやしくも名誉を毀損するような行為の絶無を期する」
 絶無を期していたのに、少数とはいえ「暴行強姦」事件が発生したからこそ、大将は「泣いて怒った」のである。
 本宮ひろ志が歴史を考証したとは思えないが、「国が燃える」はこの一点だけでも許せない。
 松井大将とわが国の名誉を著しく傷つけている。
 その責任は万死に値する。