「南京事件」における史料批判
ここ最近「南京事件」に関して注目が集まり、多くの方が関心を持たれている事は大変意義のある事です。
しかしながら、史料(歴史資料)に対する認識が甘く、混乱されている方々が目に付きます。
そこで史料に対する以下の文章を提示致します。
HP作者より
南京事件の研究書を見てゐて不思議に堪へないことが一つある。
史料批判が全くなされてゐないのである。
その史料批判を云々する前に、昭和七年に初版が出た内藤智秀『史学概論』(昭和三十六年第四版、福村書店)の紹介する、史料の等緑化に言及する必要があらう。
坪井九馬三博士(安政五年〜昭和十一年)と言へば我が国における歴史研究方法の基礎を築いた歴史学者であった。
坪井九馬三が創唱し広く人口に膾炙されてゐる分類法は、価値判断の上からして、史料を、六等級に分類する。
内藤智秀『史学概論』の紹介するところによれば、一等史料とは、或る史実が生じた時に、その生じた場所で、責任者の作成した記録類、たとへば日記、書簡、覚書などを言ふ。「南京事件」関係では、中島師団長の「陣中日記」や、南京安全区国際委員会の抗議文書その他が、この一等史料に当る。
これに対し、南京にゐながらも「南京事件」とは稍異なる時期に書かれた記録や、「南京事件」が生じた時期に南京から稍離れた場所で記された記録、或いは後日当事者が暇を得て記した文書類などは二等史料と呼ばれる。
要するに記録された時期は同じでも一寸でも記録時の場所が違ったり、場所は同じでも時間が一寸でも違ったりすると、責任者の記録も一等史料とはならない。
南京大学スマイス教授の行った調査記録「南京の戦争被害 一九三七年十二月 ―― 一九三八年三月」や各種の戦闘詳報などはこの二等史料に相当する。
そしてこれらの一等史料ないしは二等史料を素材として作成されたものが三等史料である。
ティンパーリイ編『シナにおける日本車の恐怖』や、阿羅健一 『聞き書南京事件」(図書出版社)、China Year Book 1938やChina
Journal などの年鑑もしくは雑誌類などが、これに相当する。
なほ南京の外国人特派員の書き送った新聞記事は、その内容に応じて、一等史料ともなれば、三等史料ともならう。
以上の一等二等三等史料を総称して「根本史料」と言ふ。
他方、「作者も製作年代も、又製作場所も判明しない場合」(『史学概論』一一二頁)は四等史料と位置づけられる。
世に南京大虐殺の写真と称される殆どの写真が四等史料なのである。「撰者又は著者がいかなる史料を手にしたか、いかなる方針で調査、又は審査したか不明なるもの」(同前)は五等史料となる。
戦後南京大虐殺三十万人説を創唱した中華民国側の東京裁判提出資料は五等史料なのである。
従ってその真偽にかんする史料批判が不可欠となってくる。
なほ以上の四等五等史料を「参考史料」と言ふ。それ以外の史料を六等史料と言ふ。
一等史料だから三等史料よりも優位にあるとは必ずしも言へない。
しかし或る出来事を論ずる時は、必ず一等史料を必要とする。
それは最も身近な私たち一人一人の自分史を考へてみれば直ぐに分ることであらう。
たとへは今から三年前の参院選に学歴を偽って当選した新聞正次元議員(民社党)は恰好の実例を提供する。
M大学中退と公表された氏の履歴(パーソナルヒストリイ)は、氏の提出した私的な記録によって裏付けられるのではない。
その入学といふ史実が生じた時に、その生じた場所(M大学)で作成された公的な入学記録なのである。
氏の学歴が詐称であるか事実であるかを決定するものは、一等史料の、氏が確かに入学したといふ当時の公的記録にほかならない。
同じやうに、南京事件にかんして言へば、日本車占頷下の南京で確かに虐殺事件があったと言ふためには、南京大虐殺が起きたと言はれる時期に、確かに起きたと伝へる当時の公的な記録
official documents を要する。
一等史料のなかに、それが有るのか無いのか。
戦闘詳報は虐殺詳報ではないのである。
仮に戦闘詳報から何百人かの虐殺を帰納的に推定するにしても、その推定を裏付ける一等史料が在るのであらうか。
さて史料には「多数の偽作物】がある。歴史の研究に際しては史料の真偽の批判が不可欠となってくる。
史料は、「その同一事件、同一時代、同一人物としてはあまりに突飛で信用できないような点がなきかいなか、時間的にも、地域的にも、不合理の点がなきか」(同一一六頁)を見極めなくてはならない。
「時代的に見ても、場合からしても、又、その事柄においても矛盾のない」(同前)ことを確定しなくてはならない。
南京事件に即して言へば、南京事件が生じたとされる時期に南京で記された記録と比較して、当該史料が矛盾がしてゐないかどうかを見ると、それが「偽物の場合は、傍系的内容において暴露される」(同前)ことになるのである。
【参考文献 : 日本文化研究所紀要 第2号(1995)抜粋 「南京事件の真相」 より】
[ トップ・ページへ戻る ]