2014.2.7 (中国、騰訊評論)

日本人は南京大虐殺をどう見ているのか?「中国国民に巨大な損害を与えたことに変わりはない」―中国メディア

 2014年2月6日、騰訊評論は「日本人は南京大虐殺をどう見ているのか」と題する記事を掲載した。以下はその概要。

「南京大虐殺」について、日本政府は時にあいまいな返答をし、時にその存在を認めることを拒んできた。1937年に南京で大虐殺が発生した当時、圧倒的多数の日本人はその存在を知らず、1945年の東京裁判の時に初めて知る人がほとんどだった。事件が発生したとき、中国政府が発表した情報は、日本軍第6師団が23万人を殺害、16師団が14万人を殺害、その他の部隊が6万人を殺害し、合計で43万人の犠牲者が出たというものだった。

 南京大虐殺に関する審理の際、傍聴に訪れた日本人が2000人以上に上ったことは、日本人のこの事件に対する関心の高さを示している。東京裁判の後、南京大虐殺は日本で次第に忘れ去られていったが、1970年代、日本社会は再び南京大虐殺を見直し始め、多くの日本人がこれを認知した。朝日新聞の記者・本多勝一氏は日本軍の侵略戦争を調査するため中国にわたり、朝日新聞の紙面で10度にわたって南京を取り上げた。

 また、早稲田大学の洞富雄教授をはじめとする一部の人々は1984年に「南京事件調査研究会」を設置し、南京大虐殺を否定する思想に反対するための具体的な調査を開始した。洞教授を代表とする人々は「大虐殺派」と呼ばれ、大虐殺を否定する人々は「幻想派」と呼ばれた。その後、議論に加わる人はますます増えていった。それぞれが主張する被害者の人数は異なり、一部はその存在自体を否定した。

 1990年代、与党自民党の政治家でこの論争に加わる者は少なかった。初めて公の場で南京大虐殺を否定したのは、羽田孜内閣の永野茂門法務大臣だったが、永野氏はこれが原因で、就任わずか11日で辞職に追い込まれた。その後、現職の大臣がこの種の発言をすることはなくなった。しかし、大臣を退いた後は違った。例を挙げれば、運輸大臣、通産大臣、経産大臣などを歴任した平沼赳夫氏は、2008年からたびたび南京大虐殺を否定している。

 日本社会の主流は、南京大虐殺の発生を認めるというもので、多くの小中学校で使用されている教科書には関係する記述があるが、被害者の数については相変わらず見解が分かれている。しかし、被害者の数がどうであれ、中国国民に巨大な損害を与えたことには変わりがないのである。