近衛文麿 | 王寵恵 |
南京事件に関して、外交面ではどう評価されているか論じてみたい。
昭和13(1938)年1月16日の近衛内閣の「爾後(じご)国民政府を相手とせず」の声明以後、日中両国は双方とも大使を引き上げるが、中国の日本に対する非難や抗議は依然として続いていた。
特に11月、国民政府が重慶に移ってからは、王寵恵外交部長声明、蒋介石声明、国民政府声明、全国代表者大会宣言・・・・と言った形で日本に対する抗議的主張が頻繁に行われた。
しかしそのもろもろの抗議の中にも南京事件に関する抗議は全然見当たらない。
米砲艦パネー号撃沈事件、英砲艦レディバード号砲撃事件に対する日米、日英交渉に対しては、日本は官民あげて陳謝し、米英の要求に沿ってこれを解決した。
中国に多くの権益をもつ米、英、仏等からさまざまな抗議が寄せられ、日本側もそのつど謝罪したり、物資の破損など、
現在、外務省資料館にはその弁償物資の一覧表があるが、自動車、小型船舶はじめ、その数はじつにおびただしいものがあり、当時の日本外務省がいかに米・英・仏・ソ等の機嫌を損じまいとして努力したかが解る。
通常、国際的抗議というときは、2ヶ国以上の複数国家が協同して申し込む抗議のことを言う。
それが行われたのは、昭和12(1937)年9月22日、アメリカ、イギリス、フランス3国による日本の南京空爆に対する抗議である。
それ以外には何の抗議もない。
日本軍の南京空襲は無差別爆撃だ、というのである。
スマイス博士の被害調査によると、空爆、砲撃による南京市民の死者はわずか600人である。(別ページ参照。)
またN・Yタイムズのダーディン記者の表現をかりると、中国兵の焼き払いの狂宴(清野作戦)のすさまじさは、日本軍の空爆の比ではないと言っている。
もちろん難民区には一発も投下していない。
そのような空爆の被害に対してさえ、米・英・仏、3国はそろって日本を非難し抗議しているのである。
それなのに、いわゆる南京事件:The Rape of Nanking (大虐殺)については一言半句の抗議の事実・記録すらないである。
これは一体どういうことか?
要するに、そのような事件に関して当時一切確認する事も事実が無かったという事である。
無かったから抗議のしようもない訳である。
――― そう理解するよりほかにない。
それが現在、日本の教科書には「南京事件(大虐殺)について日本は国際的非難を受けた」「…世界の非難をあびた」と書かれてあるのである。
教科書執筆者や文部省検定官にお伺(うかが)いしたい。
一体どこの国が、当時、南京事件に関してどのような非難や抗議をしたかを教えて頂きたい。