【THE LOWDOWN 翻訳】17〜19ページ分


 言葉が戦争をつくり出す

  ジョセフ・ヒルトン・スマイス

 「梶棒と石は骨を砕くかも知れないが 言葉が私を傷つけることは出来ない」一古い伝承童謡

 「地獄だ!」- 偶然見た人

 10年前にヨーロッパの外交官たちが、私的な会話の中で、1932年に次の戦争が始まるだろうと予想した。
 それはある程度は間違っていた。
 その頃は世界的な不況が、その他の全てに対して影を投げかけていた。
 各国間で嫌と言う程の論争があったが、飢餓問題の方がより重要であった。
 10年前のある政治家の補足的な声明は、しかしながら依然として真実である。
 次の戦争は主としてタイプライターと、実験室 --- すなわちプロパガンダと科学において戦われることになるだろうというものである。
 ともにいわば毒ガスであり、等しく致命的である。
 科学者たちが悪魔的な殺害方法を発明したのと同じような方法で実行してきたことは噂を流すことと、鉄壁に護られた国家機密に関することだ。
 しかし、宣伝従事者の仕事は公的な記録に記されている。
 今日においては大衆的な憎悪、大衆的な偏見、民族的偏見を作り上げる事は害の程度は、武器弾薬の生産産業につぐ2番目の産業となっている。
 第1次大戦においてプロパガンダは主として印刷業と、つぶやきの様な作戦であった。
 現在では、ラジオの影響力の増大に伴って、耳にに届くのは24時間さまざまなかたちで特別な訴えによる攻撃がなされるようになり、その結果は残念ながら耳がマヒするのではなく、盲目を生み出しているのである。
 すなわち現実の問題に対する盲目である。
 チェコスロバキアにおけるズデーテンー地方、ドイツ問題の人為的な行為はその最たる例であるばかりでなく、その他の類似した状況にあるところに対する警告でもある。
 このケースにおいて、ドイツのプロパガンダ機械は20年前のそれよりも巧妙であったわけではないが、より徹底していた。
 例えば、5月21日から6月21日にかけてドイツのラジオはチェコの市民に対して無秩序状態を起こすことを目的を絞った992回の放送を徹底的な爆撃的に行った。
 ブラナ・ポリティカ(Brannla Politika)誌の記録によれば・・・

 1. 政府もしくは大統領を批難、194回。
 2. チェコの政府筋並びに裁判所の権威を中傷すること172回。
 3. チェコ軍を侮辱を行う事、106回。
 4. ズデーテン・ドイツ党を煽動を呼びかける事、36回。
 5. スロバキア人とポーランド人の自治主義者の支持を34回。
 6. 共産主義者がチェコ・スロバキアを支配するだろうという印象を作り出そうと34回試みている

 この文章を書いている時点においてはチェコ・スロバキアは最近すでにイギリスのクリブデン・クラブの連中によって売り渡された後なので、この春に頻繁に行われたやかましいラジオ放送は単に歴史的な関心事になっているように見える。
 しかし残念ながら、その効果は近い将来において重大なものであろう。
 ドイツの領土への関心は第3帝国によるチェコ・スロバキアのズデーテン地方の所有権で終了するとのヒットラーの声明はチェンバレン首相にとって外交的な二枚舌の言い逃れにとって疑いなく必要な助けであった。
しかし、その誠実さは疑わしいものである。
ドイツがより多くを渇望していることは既に6月には明白であった。
 ゲッペルス博士によって明確に承認されたプロパガンダにおいて、ヘン・レインはその月の12日にフランス第3共和制の民族主義小政党に対して兄弟党的な合図を送っている。
 かくして、週刊ズデーデン・ドイツ・ブリティンの同日号では;
  「数カ月前にブレトンの町や村に“ブレトン人のためのブリタニーを!” “自由で中立的なブリタニーを!” といった要求が壁に大書される事件が突如起った」。
  「ともにケルト・アイリッシが自由な国家の創設以来、プレトン人の民族的自覚は広範な人々の間で覚醒されてきた」とヘンレイニストの宣言は続く。
 ゲッペルス流のアジテーションスタイル、特にズデーテンにおけるドイツ人迫害を扱うそれを思わせるやり方で、ブリティンはブレトン人愛国者の受難を書きつづる。
 その上結論では、今日ではブリタニーはアルサス・ロレーヌとともにパリ政府に対して自治を要求していると断言する。
 ドイツが遠く離れたフランス西部地方への同情を書き立てるのが奇怪なことであるとしたら、近東でのプロパガンダも同じだ。
 それらは中欧の危機によって陰に隠れているが、7月17日のロンドンのデイリー・ヘラルド(Dajily Herald)はエルサレム特派員の次のような記事を載せている;
 「エジプト、パレスチナ、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク駐在の主な ドイツ人ジャーナリストがエルサレムに集まり、近東におけるドイツの権益とアラビア語のプロパガンダ方法を研究するための会議を開いているものとみられている。
 ドイツの近東におけるプロパガンダは大幅に拡大されようとしていると考える。それは植民地返還問題が議題に上がったときにイギリスやフランスに対する有効な交渉力を形成するという目的のためである。
 この地においてエージェントは大国のなかでドイツだけが近東で領土的野心を持たず求めるのは善隣的友好と交易だけであるという論によってドイツヘの共鳴を得ようとしている。
 エジプトだけで月13、000ポンドがプロパガンダ目的のために追加支出されている。
 ドイツの工作員はあらゆる地域に散らばっている。少なくともその半分は記者として。
 ドイツの近東における公認記者はプロパガンダ・公衆啓蒙者に対して一貫して厳密なニュース・ストーリーよりも 解説記事――イギリスには不利な情報を提供する用意を整えてきた。
 かれらには通常偏った見方が期待されているのかも知れないが、そうした部分性が余りにもひどくみえないよう記者の「賢明な解釈」によるものという形をしばしばとる。
 フォルキッシャー・ベオバハター(Voelkischer Beobachter)のパレスチナの反英暴動の折りの記事がその例である。
 カイロの通信員は電報で「確かにパレスチナの状況は多くの預言者の言に反して1年前に予想されたものとは比べ物にならないくらい深刻化している。
 危機は個人やグループによる反乱から進展していることが明らかである。
 かくして政治分野でも軍事分野でもイギリスは、その反対のことが保証されていたにもかかわらず、かつて約束された自治を求める人々の一致した決意の団結に直面しているという様に考えられている。
 ドイツのその他の分野でのプロパガンダ活動は、いろいろ噂されてはいたが文書になっていなかった、つい最近フランスで「スペインにおけるヒットラー」(0.K.サイモン著)という本で事実が暴露された。
 バルセロナのナチの党本部が警察によって捜査されたときに発見された文書に基づいて書かれた本である。
 ある章ではイベリア半島でのナチのプロパガンダの資金のことが解明されている。

             II

 ドイツのプロパガンダのペースがここ数週間速まってきているためにそうしたプロパガンダは新聞やラジオという媒体に限定されているという印象が一般的になっている。
 しかし第3帝国には膨大な読書人口がある。
 ヒトラー首相の9月26日の扇動的な演説は、陸軍の無敵性を軍事的というより情緒的に強調したものだったが、「ドイツの軍事力の組織」というタイトルのパンフレットに再生されると事実関係のベースが与えられている。
 この宣伝物はゲッペルス博士事務所から20ペニーという低価格で売出され、ドイツの公衆に再確認させる効果を期待できるものである。
 これは各国の陸海空の防衛力と軍備を説明するシリーズの一つでもある。
 これは数字的なものが中心であり、したがってドイツ人の読者には説得力のあるものであるが、説明のスタイルは飾り気のない軍事的な事実と情緒的な祖国愛との奇妙な組み合わせである。
 パンフレットは成人市民読者の他に中等学校にも広く行き渡ることを狙っている。
 このように明確に言っている:「偉大なドイツ陸軍は、再びそのすべての制約から自由となり、我々の国家 の軍事的な特性を圧倒的に表現している。
 これは総統とその運動によって取り戻されたものであり、第3帝国の組織に組み込まれている。
 軍人精神は勇気、義務感、慎しみ深さ、そして何よりも目的達成の意志に表現されるが、これは第3帝国の人間の主流をなす特性である。
 ―― 国防への奉仕はドイツ人の神聖な義務である。
 ― ハーマン・ゲーリングの「ドイツ人は空軍の民でなくてはならない」との呼びかけに応え―ドイツの何万という若者は熱狂的に軍旗の下に集合した。
 そして航空戦力は第三帝国の運動の勝利のシンボル、新しいドイツの防衛の理想(それは航空戦力と航空輸送無しでは考えられないものである)のシンボルとなったのである」。
 このあとにはドイツの印象的な陸、海、空軍のデータが続くわけである。
 ナチのプロパガンダが海外に派生していっていることについてアメリカでは十分自覚されていない。
 特にアメリカの国益が大きく関係しているラテンアメリカで大々的に行われている。
 そこでは公認のプロパガンデストが商業エージェントの衣をまとい活動している。
 ラテンアメリカで宣伝活動をしようとするドイツ人はアルフレッド・ローゼンバーグによって設立された研究所で「外国人政治トレーニング」のコースで特別の六ヶ月教育を受ける。
 コースの主要科目は語学と新聞の扱い方であるが、カリキュラムには社交マナーやスポーツも含まれている。
 南米の十四の新聞ははっきりナチである。彼らは会議を組織して、そこで国家社会主義のよさを詳しく解説し、また親ナチ的なフィルムを見せたり膨大な量のパンフレットを配付したりしている。南米大陸には沢山の体育協会や同盟がある。
 ベルリンからの資金の他にこうしたプロパガンダ活動は現地のドイツ人商人の強制的献金の資金援助も受けている。
 商人が反ナチであっても献金を拒否しないのは、拒否するとたちまちボイコットをされるからである。
 ラテンアメリカの国のなかで、例えばアルゼンチンのようにドイツ人の人口の多い国では、第3帝国は「ナチ文化」担当官を大使館に置いている。ゲシュタポのエージェントが大陸をまたにかけて行き来している。
 ヒットラーのエージェントはラテンアメリカにおいて国家社会主義に敵対するさまざまなエージェントに対して暴力的な対応をしてきたことが知られている。ヒットラーに反対した日刊紙「アルゼンチン日報」(Argentinisches Tageblatt)を銃撃したのはその一例である。
 ドイツ自体と同じように、ナチの反ユダヤ・プロパガンダがチリ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコでは盛んである。
 現地のエージェントが行うプロパガンダをベルリンが支援している。
 カールトン・ビールズは「ラテンアメリカにおいて迫りつつある戦い」のなかで書いている。「こうした努力によってドイツ人はそれぞれの政府と国民を説得してナチズムを受け入れさせようと試みるに至った。
 この目的のためにベルリンのシャーロッテンブルグ地区ほかから短波放送がポルトガル語、スペイン語で放送される。 
 ドイツは短波放送技術を開発し、熱帯地方の空電妨害があっても優れた電波伝達を行えるのである」。
 この帝国ラジオ組織によって開発された南米向けのプロパガンダは1日16時間絶え間なく続くのである。ゲッペルス博士はまた何千という写真記録を制作して南米の都市で使わせる。
 これらは第3帝国のプロパガンダ機関が社会的な話題にからませているので人気がある。
 ラテンアメリカの独裁者たちもドイツほどの規模ではないにしてもそれぞれ活発なプロパガンダ活動をはじめている。王党派とその主張に関する記事を完全に禁止したことによって、フランコに対する非常に好意的な世論が形成されている。例えばブラジルでは、自由な政府に好意的な記事を書けば簡単に刑務所行きとなる。
ラテンアメリカにおけるヨーロッパのプロパガンダ活動をアメリカにとって直接関係ないものと無視することは賢明ではない。我々の南米における投資は膨大なものなのだ。
 海外での国家的な論争において我々の感情的なそして後には資金的な同情を獲得するということはある大国(ことにより異なるが)にとっては有利なことであるが、同様にそれらの大国にとってありかたいのは、われわれがリオグランデ以南のことについては対外政策が確固として確立するまではなるべく係わらないようにすることであり、そして何か手を打とうとしても手遅れとなることである。
 かくして我々はソヴィエトのプロパガンダにより、資金、物資そしてついには義勇兵まで(王党派の政策の転換まで)をスペインに送ってドイツ、イタリア、モロッコの兵士と戦うのである。何の目的でこうするのかははなはだ疑問であり、「平和」グループの影響下で戦闘に参加していることを考えると、少なからず皮肉である。
 我々の国にしがみついていたほうが分明の進歩一国際的にも国内的にも にとってはるかに建設的かも知れない。例えばニュー・ジヤージー州の問題により関心を注ぐ方が外国に派兵するよりも長期的に見て「平和と民主主義」を発展させるためにより有効かも知れない。
 地理的にいうとアメリカは孤立主義が羨望してやまない位置にいる。
 しかし、風見鶏というものも多かれ少なかれ孤立している。
 そして、風見鶏のようにアメリカ人のシンパシーはプロパガンダの風によって左右されている。
 過去一年はこの風は東へ西へと代り番こに吹いてきた。
 スペインかさもなければ中国に向かってであるが、いずれもソ連の利益が決定的にかかっているところである。
 そして付け加えれば、アメリカの国益には関係のないところである。

            V

 確かに中国における戦争はアメリカ人にとって目新しいものではない。
 それどころかアメリカの出費としても新しいものではない。
 中国の歴史は主として国内における略奪と搾取の歴史であった。
 腐敗と汚職が常にはびこっていた。
 王朝は上下を問わず官僚の思惑と強欲によって勃興と衰退を繰り返してきた。
 1911年に清朝が最終的に崩壊したのも汚職と腐敗のせいであった。
 それを引き継いだ共和制も相変わらずであったばかりか、多くはむしろもっと悪いものであった。
 これらのさまざまな中国の政権、軍閥に対してアメリカ人は飢えた何十万の被災者を救うためということで直接間接に何百万ドルもの寄金を行わされ、さらに何百万ドルを毎年繰り返される揚子江の氾濫の被災者の食料と衣料のために出費させられている。
 普通に考えれば、現在の極東における紛争も過去の腐敗と同じような結果を我々にもたらすはずであった。
 我々は相変わらず自腹を切って金を貢ぎ、赤十字援助を行い更に金を貢ぐことになったであろう。
 そして我々はいつも他国による戦争(実は結局我々が一部支援すること、になる)を嘆くのと同じように、宣戦布告はされていないこの戦争を嘆くことになるであろう。
 しかし、今度の中国における戦争勢力に対してはもう一つの支援者がいた、ソ連である。
 ソ連の利益とオポチュニスト蒋介石の利益が反日運動の高まりの中で見事に一致したのである。
 ヴァーノン・マッケンジーの「動乱の年」によれば:

 「日中の衝突の初期にソ連がスペインにおけるイタリア、ドイツの活動に対抗する支援をやったのと同じやり方で中国に支援を与えた証拠がある。1937年8月に中国はソ連と不可侵条約を結んだが、それには秘密の軍事条項 が含まれているということが直ちに伝わってきた。この条項によると、中国は隣の共産国より年内に、航空機360機、戦車200両、牽引車1500両、ライフル150,000丁、砲弾120,000発、銃弾6千万宛を受取ること
になっていた。ソ連はまた各部門の技術顧問を提供することになっていた。」

 これらの部門のうちもっとも重要なものはプロパガンダ部門であった。
 平和と民主主義のためのアメリカ同盟がボイコットと資金集めの精力的なキャンペーンを始めたのはそれからしばらく後のことであった。
 マンハッタンのミッドタウンのほとんどあらゆる街角でかわいい中国人の女の子と身だしなみのよい中国人学生が献金の呼びかけを始めた。
 フィリップ・A・ジャフの指令の下に22の都市に支部がつくられた。
 彼は1937年に中国共産党本部を訪問した紛う方なきソビエト中国のプロパガンディストなのである。
 
 そのうちに中国自身がアメリカのプレスエージェントをつかうようになった。
 抑圧された中国に対するアメリカ人の同情心を掻き立てる煽動が続いた。
 一方では、蒋介石総統と彼の魅力的なアメリカの大学を卒業した妻の個人財産のことが時折、肝心の問題に暗影を投げかけたりしていたが。
 やがて、プロパガンダのニュース・リリースにより残虐写真が新聞社にあふれ始めた。
 これらのほとんどは元上海の新聞人が経営するトランスーパシフィック・ニュース・サービス社から出たものである。
 残虐写真のほとんどのものはまともな検証がされておらず、大部分のものは20年前に連合国によって作られリリースされたベルギー残虐事件物語と同じ手法でつくられたものである。
もっとも忌まわしいものとしては信頼性の高いアソシエイテド・プレス(AP)に流されたものである。
 それが印刷物に載るとだまされやすいアメリカ人はしかるべく反応した。
 写真は日本軍将校が十字架に縛りつけられた中国人捕虜を使って銃剣の練習をしているのを写したものである。
 もう一人の日本軍将校は大げさな笑い顔でこれを見ている。
 APは写真は本物だと言い張ったが、その後それを取り下げ、複写したものであることを告白せざるを得なくなったのである。
 その1枚の写真の歴史は興味深いものである。
 というのはほとんどのその手の写真の歴史に光を当てることになるからである。
 最初、その写真は1919年に上海で絵はがき用に売り出されたものである。
 その時は内陸地方で暴虐を働く軍閥の一人を非難するプロパガンダとして使われていた。
 それから1、2年後に再び登場したのであるが、今度は北方の地域で中国の共産主義者の将校が中国人の捕虜を虐待している写真としてである。それにいつまでも止まってはいなかった。
 日本軍が満州へ進出すると、反日プロパガンダに使われた。
 満州の危機が収束しニユース価値がなくなると1934年に今度は蒋介石が中国紅軍掃討作戦を行っているときに中国共産主義者によって行われた残虐行為を写したものとして再び登場したのである。
 もっとも最近使われたのは、お決まりの目的である、アメリカ人の同情心を掻き立て、反日感情をアメリカで高めるためのものである。

 
 このように、プロパガンダというものを一、二の大声を上げているドイツとかイタリアとだけ結びつけるのはまず賢明なこととは言えない。ソフトな言葉の方が大声の言葉よりもより雄弁で説得力をもつということは常識である。
 今日我々は富める国から何者かを求めようとする国からのプロパガンダに終日、世界中で、曝されている。
 多分、全く確かではないが、ホッテントット(注1)を除いて世界中の人々が。

注1: 南アフリカ共和国からナミビアの、海岸線から高原地帯、カラハリ砂漠などに居住している民族を指す、ここでは未開人の事を意味すると思われる。