平成19(2007)年12月17日放送(TBS「筑紫哲也NEWS23,」より)
「ラーべ日記」
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | えー、先の戦争で日本軍が南京を占領した際に起きた中国人に対する虐殺・・・いわゆる南京大虐殺は、この番組でも何回か取上げてきました。 今月は事件からちょうど60周年目の月に当たります。 今日の特集は、この事件を考えます。 |
NEWS23、草野満代(キャスター) | この南京大虐殺の貴重な証言として、日本、ドイツ、そして中国で同時に出版された「ラーべの日記」という書物に反響が広がっています。 ベルリン、南京、そして東京の3ヶ所で加藤、柏原、金平の3人の記者が取材をしました。 |
女性音声ナレーション | 「ラーべの日記」の著者、ジョン・ラーべは、ドイツ、ジーメンス社の南京支社長。 30年以上中国で過ごしたラーべは、多くのユダヤ人をナチスの大量虐殺から救ったシンドラーになぞらえて「南京のシンドラー」とも呼ばれている。 皮肉な事にナチス党員でもあったラーべの目に映った事実とは・・・。 |
男性音声ナレーション | 12月8日、「街を見回ってみて初めて被害の大きさがよく分かった。100から200メートルおきに死体が転がっている。 調べてみると市民の死体は背中を撃たれていた。 たぶん逃げようとして後ろから撃たれたのだろう。 日本軍は10人から20人のグループで行進し、略奪を続けた。 それは実際に、この目で見なかったら、到底信じられないような光景だった。 彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第盗んだ。 日本軍に捕まらないうちにと、難民を125人大急ぎで空き家にかくまった。 近所の家から14歳から15歳の娘が3人さらわれたと言ってきた。 日本兵は私の家に何度もやって来たが、ハーケンクロイツの腕章を突き付けると出て行った。 マギー牧師が凄まじい残虐行為の実写フィルムを持ってきた。 ベルリンに送るつもりだ。 私にも1本くれる事になっている。」 |
女性音声ナレーション | マギー牧師はラーべと共に、南京安全区国際委員会を運営したアメリカ人宣教師だ。 マギー牧師の撮影したフィルムは、91年ロサンゼルスで発見された。 |
男性音声ナレーション | 12月16日、「(注1)かかんへ行く道は一面の死体置き場と化し、そこらじゅうに武器の破片が散らばっていた。」 「あたり一帯は文字どおり死屍累々(ししるいるい)だ。」 「いま、これを書いている間も、日本兵が裏口の扉をこぶしでガンガンたたいている。」 「女の人や子供たちが大ぜい、庭の芝生にうずくまっている」 「目を大きく見開き、恐怖の余り、口もきけない。そして互いによりそって体を温めたり、はげましあったりしている。」 2月3日、(注2)「午前中、近くの寂しい野原に行った。」 「ここは2つの沼から中国人の死体が、124体引き揚げられた場所だ。 その約半数は民間人だった。 犠牲者は一様に、針金で手をしばられていて、機関銃で撃たれていた。 それからガソリンをかけられ、火をつけられた。 けれども、なかなか焼けなかったので、そのまま沼の中に投げ込まれたのだ。」 |
女性音声ナレーション | 日記の記述で際立っているのは、日本軍兵士の女性に対するすさまじいばかりの強姦に関した記述だ。 |
男性音声ナレーション | 12月18日、「18時、危機一髪。日本兵が2人、塀を乗り越えて入り込んでいた。なかの1人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣を放り出し、難民の少女に襲い掛かっていた。 私はこいつをただちにつまみ出した。」 2月3日、「収容所ではどこもかしこも似たような光景が繰り広げられている。 うちの庭でも、70人もの女の人がひざまずいて、頭を地面にこすり付けながら泣き叫んでいる。なんという哀れな姿だろう・・・胸がふさがる。 みなここから出て行きたくないのだ。日本兵が怖いのだ。 強姦されはしないかとおびえている。私は繰り返し繰り返し訴えられた。」 「あなたは、私達の父であり、母です。これまで私たちを守ってくださいました。 お願いです、どうか見捨てないで!最後まで守って下さい。辱められ、死ななくてはならないというのなら、ここで死なせて下さい。!」 「今しがた張から聞いたのだが、通りを入ったすぐのところの小さな家で人が殺されたそうだ。17人の家族のうち、6人が殺されたという。 娘たちをかばって家の前で日本兵にすがりついたからだ。 年寄りが撃ち殺されたあと、娘たちは連れ去られて強姦された。 結局、女の子が一人だけ残され、みかねた近所の人が引き取った。」 「局部に竹を突っ込まれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70歳を越えた人さえ何度も暴行されているのだ。・・・」 |
ベルリン支局、加登英成特派員 | ベルリンにあるこちらの放送局では、ラーべ氏の日記と南京大虐殺をテーマとしたドキュメンタリー番組を企画。 現在その編集作業が行われています。 日記については、今年ドイツの各マスコミでも大きく取上げられました。 これまで全く無名だったラーべ氏の功績がドイツ中に知れ渡った訳です。 今回企画された30分の番組も、日本軍の南京入城から丸60年の節目として、今月中の放送を目指しています。 |
ドイツTV番組製作者、アンドレア・ブーフベルガーさん | ジョン・ラーべの命をかえりみない断固たる行動はまさに驚きです。 記録の正確さは、とてもスリリングでドラマチックです。 |
加登英成特派員 | 一方、日記を保管していたラーべ氏の孫娘、ウルズラさんは、この夏60年ぶりに南京の土を踏みました。 この時もドイツの別のテレビ局が同行して、1時間のドキュメンタリーが放送されました。 |
ラーべの孫娘、ウルズラ・ラインハートさん | ラーべはいつも言っていました。「許し、そして忘れなさい」と。 でも、人は加害者が罪を認めて、はじめて許しあえるんです。 「南京大虐殺がでっちあげだ」なんて公言する人がいたら、それは再び中国人を侮辱し恨みを呼び起こすことになります。 |
加登英成特派員 | そして今月、ウルズラさんは講演を行うため、生まれて初めて日本を訪れます。 |
上海支局、柏原清純特派員 | ラーべ氏の日記の舞台となった南京では、60年前に虐殺が始まった日とされる13日に、追悼式典が開かれました。 南京虐殺祈念館の広場で開かれた式典には、年老いた生存者や遺族ら3千人が参列しました。 冥福を祈って1分間の黙とうが捧げられました。 60周年を迎えた南京市内の書店では、中国語に翻訳されたラーべの日記の本が政治分野のコーナーに並べられていました。 |
書店担当者 | 虐殺に関する本は数多くありますが、直接見聞きした記録が一番多いのは、この本です。 毎日40から50冊ほど売れています。 |
柏原清純特派員 | 10月中旬に南京の出版社が発売して以来、お年寄りや教育関係者、そして軍人たちが主に買い求め、わずか2ヶ月たらずでおよそ7万冊が売れました。 |
書店の客 | 日記には未公開の内容が多いから虐殺事件をもっと学習するのに役立つと思います。 |
柏原清純特派員 | 祈念日前日の12日には、虐殺事件を扱った写真集の出版記念会が開かれました。 本とCD-ROMの同時出版で800枚もの写真が掲載されましたが、ラーべ氏が保存していた31枚の写真を含め、4分の1がこれまで未発表の写真です。 |
出版社社長 | ラーべ氏の保存写真も証拠になります。 写真によって過去の文献資料の真実性をより一層、説明できるのです。 |
柏原清純特派員 | 虐殺祈念館の一角に今年5月、ラーベ氏の墓標がベルリンから寄贈されました。 長い年月の壁によって虐殺の真相がかすれて行く今にあって、60年前の真実の一片を蘇らせたラーべの日記の原点の証とも言えます。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | ベルリンの加登特派員のレポート通り、ラインハルトさんが日本へやってきました。 |
ラーべの孫娘、ウルズラ・ラインハートさん | 私がハッキリ言えることは、被害者は加害者が罪を認めることを必要としているのです。 被害者が自分の運命と向き合い、その結果として、加害者を許せるかも知れないのです。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | えー、このシンポジウムの会場を見てまず気付くのは、若い世代の姿が極端に少ないという事です。 会場を訪れていた研究者の1人はラーべの日記をこんな風に見ています。 |
宇都宮大学、笠原十九司教授(1997年当時、現・都留文科大学) | 南京で起こっていた、あのー、虐殺事件について、当時、日本では厳しい言論統制と、それから、報道管制によって国民に知らされなかった。 |
朝日世界ニュース号外(ニュース映画) | 輝く戦果に敵首都を攻略し、晴れか感激の涙無きものがあろうか・・・(ナレーション) |
宇都宮大学、笠原十九司教授(1997年当時、現・都留文科大学) | ま、ラーベっていう、ま、当時南京にいた人・・・が、克明に書いた記録によって、我々は正にリアルタイムの様にですね・・・。 体験する様に南京事件を知る事が出来るっていう、そういう記録として、ま、非常に価値があると思っています・・・。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | うーん。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | 日記と言う形で記録を残そう。 ジョン・ラーベという1人の強靭な意志が60年後、南京、東京、ベルリンという3つの都市を結びつける強いきずなとなった事は間違いありません。 |
NEWS23、草野満代(キャスター) | コマーシャルの後、取材した金平記者と話します。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | お伝えしました1人、金平記者です。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | あのー、今、ご紹介しましたですね、ラーベの日記・・・これですけど、邦訳・・・。 邦訳ではですね、「南京の真実」ていうタイトルで(1997年)10月に出たんですけれど、すでに4万部が売れているということです。 それから、あのー、ショッキングなマギー牧師のフィルムですけれども、これを、あのー、もっと詳しく見る事が出来るのは、こちらのビデオですね。 これは、あのー、中国系の映像作家が作ったドキュメンタリー映画なんですけれども、この様に日本でもビデオで市販されているということです。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | それにしてもね、このラーベの日記ですけれども・・・。 その、本人は日本と友好国のドイツ人ですよね。 えー、ま、あの・・・、第一級の史料だと、これ出てから言われているんですけれども・・・それにしても本人はなぜ、こんなに記録することに執念を持ったんですかね・・・。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | そうすね。 これは、あのー、もともと、あのー・・・。 家族に宛てた公表するためのもんじゃないと・・・家族に宛てた日記なんですけれども、その思いを、ちゃんと伝えたいんだという、記録を残す意志っていうんですかね・・・。 これが、あの、ものすごく強烈なものがあってですね・・・この辺のところを非常に考えさせられましたけれども・・・。 その・・・唐突ですけれども・・・あの・・・記録映画「ショワー」っていう、その、同じくナチスによる、その、殲滅・・・。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | ユダヤ人の虐殺ですね・・・。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | ええ、そうですね・・・。 あの記録映画にも、その、共通する様な・・・ですね。 記録を残す意志がいかに大事な事な・・・であるかと、その極限状況の中で、その記録を残していこ・・・、おこうという・・・その意志がですね・・・。 それが、その・・・責任を・・・その・・・徹底的に追及するんだという意志と重なりあっている様な気がしましたですね。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | 日記の他にもヒットラー宛の上申書っていうのも、彼(ラーベ)は書いて・・・。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | そうですね。 彼はナチス党員ですから・・・ヒトラーを・・・まぁ、外地に長くいたんで、まぁ・・・一種、神格化しているんですけれども・・・中国人を救うために、ヒトラーに何とかしてくれ・・・という様な上申書を書いていますね。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | それは同盟国の日本に対して言って止めてくれるんじゃないかという・・・。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | 働き掛けてくれと・・・ええ。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | 期待をしてたんですかね。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | そうですね。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | それにしても・・・あの・・・その・・・南京で起きたことについて・・・その免罪符を与えるつもりで言う訳じゃないんだけれども・・・その・・・戦争と性暴力というのは、非常に・・・あの・・・南京の場合は、非常に密接に結びついているけれども・・・他の場合にでもあり得る話ですね。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | あり得ますね。 あの・・・現に、数年前に・・・そのユーゴ内戦でですね。 凄まじい数の・・・その・・・レイプっていうのがあってですね。 これは国際的な問題になったという・・・この問題をですね。 その・・・南京大虐殺というと・・・もう非常に過去の歴史的な事実という風な・・・その、事実論争になってしまうんですけれども・・・。 実は、その・・・えー、ユーゴとかですね・・・えー、・・・あるいは、もっと言うと、その・・・沖縄で起きている様な事にもつながる様な・・・ですね。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | 軍隊の性暴力というのも1つは大きくありますね。 |
ニュース23、金平茂紀レポーター | 現在につながる問題として、この問題を考えることが重要じゃないかという風に痛感しました。 |
NEWS23、筑紫哲也(司会者) | はい・・・。 |
NEWS23、草野満代(キャスター) | コマーシャルの後は、オブジェクションです。 |
注(1) ・・・ ナレーションで「下関」を「かかん」と読んでいますが、実際には「シャーカン」と読みます。NEWS23がいかにいい加減な番組であるか分かります。
注(2) ・・・ 講談社『南京の真実』の昭和13年2月3日には、この記述は存在していません。
TBS「筑紫哲也のNEWS23」
平成9年12月15日放送、放映時間15分28秒