「バトル・オブ・チャイナ」と
「中国の怒吼」


 1944(昭和19)年公開の「バトル・オブ・チャイナ」は、ハリウッド映画で有名な監督フランクキャプラによって製作された作品です。
 キャプラ監督は1941(昭和16)年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃の翌日に、少佐待遇で陸軍通信隊に入隊した。

 しばらくしてキャプラは、ジョージ・マーシャル米陸軍参謀総長からじきじきに呼び出されて、米国陸軍用の教育映画製作という特別任務を与えられた。

フランク・キャプラ(右)とジョージ・マーシャル米陸軍参謀総長(左)
フランク・キャプラ(右)とジョージ・マーシャル米陸軍参謀総長(左)

 キャプラは早速、ハリウッドから一流の人材を引き抜き映画製作チームを編成し「我々はなぜ戦うのか」「戦争への序曲」(1942年)を製作したのである。
 真珠湾攻撃の2ヶ月後、アメリカ政府は映画産業を武器弾薬、飛行機の生産と同様に"重要産業"に指定し、このためハリウッドの映画関係者は召集を免れたが、多くの映画関係者は志願し、従軍している。

 ただし、彼等のほとんどは将校として従軍することとなった。
 ジェームズ・スチュワートは空軍少佐、ヘンリー・フォンダは海軍大尉であった。

 この点、日本ではスターと言えども1兵士として従軍した日本とは違い、情報戦における理解はアメリカの方が、はるかに先んじていた事が読み取れるのである。
 キャプラ以外にものハリウッド映画監督であるジョン・フォードは記録映画として「ミッドウエイ海戦」(1942年)を製作。

 ジョン・ヒューストンは「アリューシャンからの報告」「12月7日」(1942年)などを製作している。
 これら戦意高揚映画として製作されたのが「バトル・オブ・チャイナ」(中国における戦い)である。

 当時のアメリカで公開された、日中戦争に対する認識や南京事件に対する認識を理解する事が出来る。
 「バトル・オブ・チャイナ」の中には、日中戦争における、赤ん坊写真を作る時に、撮影されたヤラセシーンが挿入されており、アイリス・チャンがこの映像を元に「ザ・レイプ・オブ・南京」の原稿を仕上げた事が十分理解出来る。

 ちなみに「中国之怒吼」は、「バトル・オブ・チャイナ」を元に再編集し、中国共産党との戦いの映像を加えたものである。
 「中国之怒吼」は、国民党の立場を理解する上での映像史料と言えよう。

 これら貴重な映像史料について、購入希望の方は以下で注文して頂きたい。

「バトル・オブ・チャイナ」タイトル 「ライフ」赤ん坊写真、ヤラセシーン 田中上奏文
「バトル・オブ・チャイナ」タイトル 赤ん坊写真のやらせシーン 田中上奏文
南京における防衛シーン 「中国之怒吼」長崎平和記念館ヤラセシーン 国民党が重慶へ遷都した際の映像
南京における中国軍の様子 長崎平和祈念館のやらせシーン 国民党が遷都した重慶の様子

 注文方法
「バトル・オブ・チャイナ」1本+「中国の怒吼」1本=送料込\16,000

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