『WiLL』07年11月号の茂木弘道論文を検証する

 雑誌『WiLL』07年11月号にて茂木弘道“二万人すらあり得ない「南京大虐殺」は中国の謀略デマ宣伝”なる論文が掲載された。
 南京事件に関し、新たな研究を基に真実が広く知られるようになる事は大変意義ある事ではあるが・・・余りにも杜撰な根拠を元に、大変重要な資料を曲解されて語られる事は決して望ましいものでは無い。
 今回、茂木弘道氏が雑誌『WiLL』にて、国際連盟第百回総会における顧維鈞の南京事件二万人を発表した事と議事録外務省機密文書に書かれている“行動を要求した”とする文章が【すなわち南京問題とこの行動要求とは全く関係などないのである。】(『WiLL』197ページ)という主張が果たして正しいのかどうか改めて検証してみたい。

1.関連資料を以下に提示する

 ・第百回総会議事録(英文)
 ・上記、南京事件関連部分の翻訳文
 ・外務省機密文書

2.茂木氏の主張する論点とは何か?

 『WiLL』07年11月号に掲載された茂木弘道“二万人すらあり得ない「南京大虐殺」は中国の謀略デマ宣伝”なる論文において、個々に論じている箇所に、間違いが数多くあり、それを1つ1つ指摘するのは大変な労力を必要とするので…要点だけ以下に示してみた。

 @ 1937(昭和13)年2月2日、国際連盟の第百回総会を記録した議事録自体は重要なものでは無い。
 A 外務省機密文書にあるように行動を要求したものではあるが【それは否決されたわけではないし、否決されようもないことである】(195ページ)
 B 決議案は顧維鈞が中華民国政府と折衝を行わずオリジナルで作成したものである。

3.果たして茂木弘道の指摘は正しいのか?

 @について…確かに『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年刊)において“南京の死者二万人”と演説について掲載されているものの、その原文については、今まで詳細には発表されておらず、掲載されてもいなかった。
 原文がおおぴらに公開されていない以上、『ドイツ外交官の見た南京事件』に掲載がある、その一行をもって中華民国政府が正式な立場をもって“南京の死者二万人”として認識していたと主張が行える訳が無い。
 こうした場合、必ず原本が必要となる訳である。ちなみに戸井田とおる議員関係者にたずねたところ、茂木氏が書いているように…【これは、『ドイツ外交官の見た南京事件』(石田雄治編集・翻訳、大月書店、二〇〇一年刊)の一三八〜九ページに掲載されている。これをヒントを得てかどうかはわからないが…】(192ページ)は全く事実と異なることを議員関係者から回答を頂いた。
 例えるのであれば、この『WiLL』での文章において茂木弘道氏が主張するように、謀略宣伝…つまり蒋介石率いる中華民国政府は外国からの干渉を得る為に、デマ宣伝を行っていたことは、故・鈴木明著『新「南京大虐殺」のまぼろし』、北村稔『「南京事件」の探究』、『抗日戦回想録』『周仏海日記』等、その他多くの文献から容易に判断出来る。これ以上必要が無いほどである…。
 しかしながら、茂木氏は『WiLL』文中において…【ところで、南京事件に関する決定的な文書と先に述べた国民党の「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(極機密印)であるが、東中野教授が台北の国民党史資料館で発見されたものである。『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』(東中野修道著・草思社)は、これを基にいわゆる南京事件のからくりを解明した文字通り「画期的な」南京事件研究書である】(198ページ)
 果たして東中野修道氏の著作が画期的といえる研究成果と言えるほど重要なものだろうか??
 先に述べた通り、鈴木明氏と北村稔氏の著書だけで、充分すぎるほど国民党が意図的に宣伝活動に力を注いでいた事がティンパーリの分析だけで十分判断が出来る…しかしながら今更、国民党の極秘文書によって何か新たに東中野氏が発見したかと言えば、何も特別重要な事を発見したとは言えない。
 むしろ補足であり、北村稔教授の著書内に書かれている、曾虚白『自伝』で十分過ぎるほどであると言えよう。
 東中野氏の著作に重要性があるとは思い難いのだが、それを茂木氏自身は“画期的”だと主張し、今回発見され公表された第百回総会議事録もかつて掲載された文献があるが、茂木氏が東中野氏の著作が“画期的”と考えるよりは、むしろ公式な場において、中華民国政府代表の顧維鈞が“南京の死者二万人”と公式的に発言を行った事により現在の中国政府が主張する30万人なる犠牲者の数を大幅に下回っている事に意味があると、戸井田議員関係者達が見出したのではなかろうか。
 実際、茂木弘道氏は東中野氏による書籍ばかり重要視しており文中にたびたび登場するが、そもそも国民政府における政治宣伝を行っていた組織は東中野氏がほどんど重視している国民党中央宣伝部ばかりでは無い。
 軍事委員会政治部や衛戌司令部など多くの政治宣伝部組織が存在している事は、数多くの資料にも掲載されているにも関わらずまるで論じていない。
 むしろ中華民国政府における政治宣伝全体の組織、活動などを把握しているわけでは無く“画期的…”とは言えないのではないか。
 その一端である外交部の政治宣伝についての、今回の国際連盟第百回議事録及び外務省機密文書は、それを公にしたことこそ意味があると言えよう。

 Aについて…外務省機密文書にある『冒頭、顧維鈞は日本の侵略の事実、日本軍の暴行、第三国の権益侵害などを述べ連盟の行動を要求する趣旨の演説を為せり』だけを読めば確かに「南京」のみについて論じている訳で無い事は理解出来る。
 しかしながら、議事録を読んでみれば分かるように、顧維鈞の演説は、“南京の死者二万人”を含んだ日本軍による残虐行為を批難しており、その結果国際連盟への“行動を要求”したのである。
 これは、顧維鈞が根拠としてあげた『デイリー・テレグラフ』や『モーニング・ポスト』にあるように南京を含んだ日本軍による暴虐行為について、蒋介石が欧米諸国により干渉を得る為の、政治的宣伝を主張しているに過ぎない。
 議事録や、外務省機密文書を読めば、それは容易に理解出来るはずである。
 さらに茂木氏が主張する否決されたと判断にいたるとするも当然と言える。
 なぜなら、外務省機密文書の2枚目において“決議の採択”において『冒頭、顧維鈞は日本の侵略の事実、日本軍の暴行、第三国の権益侵害などを述べ連盟の行動を要求する趣旨の演説を為せり』を行いながらも、戸井田議員関係者が提示した外務省機密文書3枚目には、国際連盟が行える最大の制裁は、経済制裁であったそれが行われなかったとする事は文面から判断出来るからこそ、否決されたと判断するのは当然である。
 そもそも国際連盟”における最高決定権は“総会”であり、その予備として常任理事国たる、イギリス、フランス、ソ連と中国は協議したのであろう。
 しかしながら外務省機密文書にはイギリス、フランスによって決議が拒否された訳である。
 茂木弘道氏は国際連盟における第百回“総会”において最高決定機関が開催される時に、わざわざ中国が議案を出す為に、事前に四カ国“会談”が行われたのは、意味が無いと考えているのだろうか?
 だとするならば、それこそ茂木氏の主張は一体何を基に、そのような主張をしているのか全く理解出来ない。
 中国代表顧維鈞は、徒労に終わる決定権の無い四カ国会議で何を主張したい為に会談を行い、英、仏に拒否されたのであろうか?

 Bについて…中華民国代表たる顧維鈞が本国に全く何ら相談もせずに、自国では無く、イギリスと協議しただけで勝手に決議案の作成を行う訳も常識的に考えれば無く、【ここを読んでいくと、この決議案の原案作成は中国代表の顧維鈞がイギリスなどと協力して行ったものであることもわかる】(196ページ)それは完全に憶測の域を超えた、茂木弘道氏の想像に過ぎない。
 イギリスが中国と協力的立場であったことは、ロイター通信や多くの資料を基に考えれば判断が出来るはずであり、批難決議たる対日経済制裁を事前協議によって提出したものの、イギリス、フランスの拒否によって否決されたとみるべきなのではあるまいか。
 元々“南京の死者二万人”という主張自体、顧維鈞がオリジナルで考え出したものでは無いことは想像に難くない。
 非難決議というのは、当時の国際連盟での唯一の制裁行為である、経済制裁を指しているのである。
 茂木弘道氏の憶測は本人の勝手ではあるが、せめてある程度の国際連盟に対する知識は得ておいて発言して頂きたいと願う。

4. 結論

 茂木弘道が主張する【それは否決されたわけではないし、否決されようもないことである】(『WiLL』195ページ)において主張している事は明らかに間違いであると結論付けられる。
『WiLL』11月号では、ごちゃごちゃと書かれている内容においては間違いが多く一々指摘はしないが、第百回総会における詳細な記録である国際連盟議事録が重要な資料である事は間違い無く、中国代表顧維鈞が行動を要求した事は間違い無く、対日非難(経済制裁)が常任理事国であるイギリス、フランスによって否決された事は間違い無いと結論付けられる。
 特に注目すべきは議事録における“南京の死者二万人”という記述は、当時の中華民国政府が国際連盟という公式な場において政治宣伝として、初めて“南京事件”について言及したという点は、大変重要な項目である。
 当時の中国の新聞や欧米諸国に掲載されているような、単なるベタ記事では無いのである。
 現在、中国が主張する30万人という犠牲者数とは大きくかけ離れている数は最も注目に値する。
 茂木弘道においては南京事件に関する書籍を1冊も出版されていないようであるが、私はかつて出版をしていなかった際に、某東中野修道が、私が新聞社に提供した写真分析記事に対して1時間もの抗議を行った事を編集者から直接聞き、責められた経験があるが、東中野は編集長が「一体記事の何が問題なのか?」との問いかけに対して『南京事件に関する書籍を一冊も出版していない者の文章を取り扱いのは好ましくない』との事が第一の原因であったと聞かされた。
 恐らく、そのような主張をした教授の書籍が論述の根拠として多く扱った茂木弘道は、かつての私と同じように『WiLL』編集は、東中野修道からの猛烈な抗議を受けているのでは無いかと想像出来る。
 冗談はさておき…茂木氏の憶測と根拠の無い推測によって書かれたWiLL論文が正しくなかったとしても、それはその後の訂正を行えばよいだけなのである。
 もっとも、そんな事は現在に至るまで聞いた事すらないが。
 新たな研究を一切出来ないとしても、東中野のように間違いを【歴史研究においてはできるだけ多くの資料の渉猟と比較研究こそが必要なのであり、あるひとつの史料に書かれていないからそれ以外のものはニセものだ式の決め付けはやめるべきである】(『南京大虐殺否定論13のウソ』南京事件調査研究会、一九九九年刊)このように指摘されたら沈黙するのでは無く、きちんと次にはそれを活かすような行動や言動や、さらなる新たな研究を行うべきだと考える。