1、昭和史を見直す4つの視点

 本年(1991)年12月8日、我々は大東亜戦争開始50周年を迎える。
 アメリカ議会では50周年を迎えるにあたってこの日を「真珠湾戦没者追悼記念日」とする両院合同議決案を採択し、すでにブッシュ大統領もこれへの署名を終えている。
 当日真珠湾生存者協会がブッシュを迎えて盛大な行事を催(もよお)すのを始め、8月末には第2次大戦切手シリーズに日本のハワイ奇襲攻撃の切手2枚(炎上沈没する戦艦アリゾナ、上下両院で対日宣戦布告の決議を求めるルーズベルト大統領)が加えられた。
 このほか12月には、全米各地で様々な日米開戦50周年行事が開催されると思われる。
 これらの行事が、否応なしに米国国民をして「真珠湾」を思い起こさせ今後の日米関係を考えさせる機会となることは疑えない。
 現在日米双方で「来るべき日本との戦争(邦題:次なる戦争)」(ザ・ネクスト・ウオー)という本が話題となり、その一方で米国CIAが民間委託した報告書「ジャパン2000年」が、「日本は世界経済の支配を狙っている」「日本人は責任感に欠け、人種差別主義者だ」「日本人には道徳観が欠如しており、あらゆる代償を払っても勝とうとしそのためには手段を選ばない」といったセンセーショナルな内容で話題を呼んだ。
 こうした情況の中で、歪(ゆが)められた日本のイメージの見直しの作業、戦前の日本の歩みについての正しい史観の確立が大切な課題となってくる。
 これまで大東亜(太平洋)戦争を語る場合、アジアとの関係で、日本が満州、中国本土へと進出していったのは、当時の事情を見るならば致し方ない行為だったのであって、決して日本には侵略の意図はなかったことを明らかにしようとする観点からなされてきた。
 しかし、大東亜戦争は日米両国が戦ったのである以上、なぜ日米両国は戦わねばならなかったのかを明らかにする事が重要である。
 この点を踏まえ満州、中国の問題も論じられるべきであろう。
 米国には明確な戦略があって日本と対決してきたのであって、ハルノートの問題や米国が欧州大戦へ踏み込むための日米戦争論などといった大東亜戦争直前の情況だけではなく、これに至る一環した米国戦略を明らかにする必要がある。
 なぜならば、日本側の事情は様々な記録によってかなり詳細に知られているが、米国側の戦前の行動については重要な歴史事実が知られないままになっているからである。
 例えば、去る7月8日付の読売新聞夕刊に、昭和16(1941)年春259名の米国民間人パイロットにより結成された対中国義勇団、通称フライングタイガースが、実は米国の正規兵であったことが米国当局によって公式に確認されたとの記事が紹介されていた。
 このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる現台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。
 ところが、同部隊の生存者たちが、実は米国防総省の承認下に全米各基地から集められた正規のエリート空軍部隊であった史実を認めるよう国防総省に請願し、このほど国防総省もこれを認めたのである。
 フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。
 日本が日米開戦回避の可能性を必死で模索して日米交渉をワシントンで行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示しているのである。
 本章では、こうした戦前における米国の実際の行動の事実と戦略とを明らかにすることによって昭和史を見直そうとした次第である。
 米国のアジア戦略の基本は、経済的に米国がアジアを支配する体制の確立を目指すことに置かれていた。
 しかもその実現に当たっては、充分に戦略を練り、常に国際世論を味方につける工夫をこらしたのである。
 それは以下に挙(あ)げるような基本戦略に基づくものであった。
 すなわち

1、 日本の満州権益への介入
2、 日中和平の阻害のための中国ナショナリズムの育成
3、 中国の反日闘争支援のための巨額の軍事援助と援蒋ルートの確保
4、 真珠湾以前に実質的に対日参戦、また本格的に参戦する口実作りのための日本への圧迫

―――の4点である。
 これら4つの視点のうちに専(もっぱ)らこれまで強調されてきたのは、4つの問題である。
 確かに米国のルーズベルト政権は参戦する事を決意しており、当時反戦論が強かった議会及び国民への口実を作る必要性があったのは事実である。
 そのために様々な工作を米国政府は行っている。
 例えばその1人に隠れ共産主義者ハリー・デクスター・ホワイトがいる。
 彼は欧州大戦への一刻も早い米国の参戦を狙(ねら)って強硬な対日通牒(つうちょう)の草案(これがハルノートの原案となった)を提出した、という研究が最近発表されているのは注目に値しよう(「諸君!」平成3(1991)年8月号ハル・ゴールド「誰が対日「最後通牒」を仕掛けたのか」)。
 こうした日米開戦の最終段階の問題を明らかにすることは、もちろん重要である。
 しかしながら、昭和史全体を見直す上においては、これはあくまで最終段階における米国の戦略であり、一環した米国の戦略を明確にするためにはやはりそれまでの3点についての作業が不可欠となるのである。


次のページへ