はじめに

 なぜ大東亜戦争は勃発せざるを得なかったのか。
 その原因を問う書物は多い。
 1つの戦争が勃発するに当たっては、様々な要因が重なっていることは当然であるからその原因論も多くの視点から論じることができる。
 前章では、その中でもこれまで顧みられなかった、かつ日米戦争の本質を理解するには不可欠の米国の対アジア戦略に絞ってその歴史的推移と意図とを明らかにする試みを行った。
 そこで次に本章では、昭和史における日本の歩み昭和天皇の「大東亜戦争の遠因」と題してのご指摘について紹介し伏せて解説することとしたい。
 この昭和天皇の「大東亜戦争の遠因論」は、終戦後、数回にわたって木下道雄侍従次長ら側近に対して昭和史を解回顧された談話の1つであり、最初に語られた内容であると思われる。
 一般的な昭和史論との決定的な違いは、この談話において昭和天皇が大東亜戦争の遠因として大正年間の事例、すなわち第1次世界大戦後の日米関係の険悪化、米国の親中政策による日中関係の険悪化、これに対応し得ない日本の政党政治といったこれまで余り顧みられなかった重要視点を軸として、それらによって引き起こされた国民の危機感が軍部への期待、軍部による愛国行動になったとの判断を明らかにされている。
 大東亜戦争開戦に至る日本側の原因追及については、戦後、戦争責任追及の手段として行われてきており、それこそ枚挙にいとまがないくらいである。
 従って大東亜戦争の原因を第1次世界大戦の戦後処理に求められる昭和天皇のご指摘については、余り言及されていないのが実情である。
 しかしながら、前章で明らかにした米国の極東戦略の推移を踏まえるならば、やはりこの時代こそが後の大東亜戦争に至る日米開戦の基本的な枠組みを決めた時代であることは明らかである。
 すなわち従来の昭和史研究のように軍部の横暴や三国同盟締結といった日本の偽政者の責任についてそれこそ重箱の隅をほじくるように論じたとしても、昭和史を歩んだわが国がどのような環境に置かれ、どのような国民感情が育っていたのかについて無視している限りにおいて、原因論は意味をなさないのである。
 例えば、戦前に置ける軍部が力を延ばし日本の政策を戦争突入へと直進させたことを明らかにしても、なぜ軍部は力を持ったのか、さらにはなぜ国民がこれを支持したのかは見えてはこない。
 そこで本章ではこの昭和天皇の御意見を掲げると共にその内容の解説を試みた次第である。


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