はじめに

 これまで触れてきたように米国の極東外交は、もっぱら日本を敵視しその勢力を中国から駆逐することにおかれていた。
 それが中国を強化する道であり、同時にその強化された中国の市場を米国資本が独占することによって巨大な富を米国は持ち得るというものであった。
 この米国の外交戦略の基本は、米国の政権が民主・共和両党で交替しようとも、また日本への対応が強固かソフトかの違いはあれ変わることはなかった。
 そういう意味では実に一環した政策であったということができよう。
 しかしながらその時々でこうした米国の極東政策への批判を持った米国有識者がいなかった訳ではない。
 ことに戦後には「極東の侵略国」日本さえ倒せばアジアに平和が回復され、米国のアジア経済制覇が達成されると踏んでいた米国のもくろみが崩(くず)れ、共産主義の進出という現実を見ることによって、過去の米国の極東政策は果たして正しかったのか、という反省が米国内でも強まった。
 その1人にソ連専門家として、有名なソ連封じ込め論を展開し、戦後米国への冷戦外交樹立の立役者となったジョージ・ケナンがいる。
 このジョージ・ケナンは、「アメリカ外交50年」という講演録の中で戦前の米国極東外交を批判し日本の立場への理解を米国が持つべきであったと指摘しているのである。
 ケナンは米国の戦後外交の立役者の1人であり、その指摘の中には、米国が戦後共産主義との対決の最前線で苦労しなければならなかったはなぜか、との問題意識から、戦前の米国の対アジア外交の独善性、ドグマ性と逆に戦前の日本の立場への同情とが語られているのである。
 そこで、本章では、このケナンによる戦前の米国外交への反省論を鍵として米国人の戦前の対アジア外交総括を3つの視点に整理して紹介することとしたい。


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