1、米国は元々満州における日本権益の正当性を認めていた

 米国のアジア政策の基本は、中国の経済支配の現実にあり、中でも満州への介入、具体的には日本の満州権益を中国側に回収させ、その中国側と結ぶことによって米国資本が独占支配することにあったといってよい。
 それゆえ、米国は日本の満州権益の正当性を米国の政策として認めることを拒否してきた。
 ところがケナンは米国も元々は満州における日本権益の正当性を認めていたというのである。
 その論理は、ケナン自身も次のような歴史認識から出発している。
 すなわち、

イ、 満州は歴史的にいって中国の一部ではなかった。
ロ、 中国は名目的な主権をもっていたがロシアも北満州において鉄道を中心に利権を確立していた
ハ、 ロシアは北満州における地位を確立するや、南満州、朝鮮、中国北部にもその勢力を伸ばす機会を狙い、中国政府にはそれを阻止する能力をもっていなかった。
ニ、 これを阻止したのは日本であり、これによって日本は南満州および朝鮮で支配的勢力となった。

 それゆえ、ケナンは、日本の満州権益は、不法に中国から奪取したのではなく、国際法上の正当な権益と見なしていた。
 しかもケナンは、北満州のロシア、南満州の日本とが安定した関係を持ったことを重要視する。
 すなわち「この戦争(日露戦争)の結果として、日本はロシアに代わり南満州および朝鮮における支配的勢力となったが、北満州におけるロシアと同様、日本もその地域に対する中国の名目上の主権に容喙(ようかい)しなかった。日露戦争の結果出来上がり、ロシア革命がその方面におけるロシアの勢力を1時的に一掃するまで持続したこの取り決めは、かなりの程度の安定性をもっていることが証明された。そして、それは、その方面における勢力関係の現実と要請とをかなり正確に反映していたに違いないと結論させるのである。」
 典型的な力の均衡による平和論を持論にしていたケナンは、日本の満州権益の存在がロシアの南下圧力を押さえて極東アジアの政治的安定、安全保障に寄与していたことにまず注目するのである。
 このケナンの見解はわが国における満州権益と一致する。
 すなわち他の列国の場合、植民地はそこから経済的利益を本国が得る場として考えられていたのに対して、日本にとってはそれ以上に安全保障上に重大な意味をもつものとして満州権益がとらえられていたからである。
 ケナンは、そうした日本の満州権益について、実は米国自身もその正当性を認めていた事実を紹介している。
 すなわち、「1905年のタフト・桂協定および1908年のルート・高平協定は、われわれにとっていかなる意義をもったにせよ、いずれも日本人にとって彼らが満州において獲得した地位に対する暗黙の承認を意味していたことは確かである。」
 ここでケナンが「暗黙の承認」といっているのは、米国は前述のように中国に対する基本政策としては門戸開放・機会均等を基本原則としていたため、2国間の条約等によってあからさまに他国の権益の存在を認めることが出来なかったが、議会とは無関係である時の政府による2国間の協定の中で、事実上それを認める表現を行ったという意味である。
 これがタフト・桂協定であり、またルート・高平協定である。
 更には東洋史学者のジョージ・H・ブレークスリーも、1928年、「日本人が満州に対して抱いている感情は、アメリカ人が南北戦争の古戦場であるゲティスバーグに対して抱いている感情と同じである。」と演説し、1930年には、キャッスル駐日大使がフーバー大統領に対して「日本が満州に特殊権益を持っている事実は、我々がキューバにおいてそうであるのと同様に無視することはできない。しかし日本が満州を併合する危険性は、我々がキューバを併合する可能性よりも低いくらいである。」との報告を行って、それぞれ別の角度から米国人自身にとっての特別な思い入れのある地域と同じだ、との論法で日本人の満州権益への特別な思い入れへの米国の無理解を指摘しているのである。
 我が国では、戦前モンロー主義を唱え中南米諸国への外国の介入を絶対拒否してきた米国がなぜ日本の満州権益が日本にとって同様の意味を持つことを理解出来ないのか、との不満が対米不信に拍車をかけていたのではあるが、それを理解する意見が一部であれ、米国人からも唱えられていたということである。
 とはいえ、米国の政策の基本は、やはり日本の満州権益を一切認めようとしない立場で貫かれていたのが歴史の事実であった。
 それゆえ、ケナンは、日本の満州権益の正当性を認めるべきであったと指摘した訳である。


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