2、米国は日本にとって実行不可能な原則を無理解なまま押し付けようとした

 ケナンの指摘の2番目のポイントは、果たして米国が主張する門戸開放・機会均等等の原則は日本が実行可能だったのか、との反省である。
 門戸開放・機会均等という原則は、その理念としては全くその通りいうほかないものである。
 問題は、それが米国の実際の政策として、アジア情勢の中でいかなる意味を持ったのか、いかなる適用のされ方を米国は目指したのか、との政策運用面にある。
 ケナンによれば
 「「門戸開放」や「中国の行政的領土的保全」という言葉のどれも、中国におけるすべての列強の特殊的権益および地位にとって代わる得るような実行可能な具体的措置を示唆(しさ)するものではないという意味において、中国の実情に対して明確に適用することは出来ないものであった。
 ・・・・・これを字義(じぎ)通りにまた型破りに適用しようとすれば、それは外国人一般が中国における居住および活動を完全に破棄することを意味するだけであったろう。」という。
 この米国の主張する原則は、端的に言えば、中国におけるあらゆる特別の立場の主張を各国が行うことを認めない、というのであるから、そのままあてはめようとすると、日本は満州権益を失わざるを得なくなったというのである。
 しかしながらケナンは、中国の実情を考慮すれば、自国民に対して責任を有する政府がそうした米国の主張に乗ることはできなかったはずだとの趣旨を述べている。

来日したリットン調査団一行(昭和7(1932)年2月) 満州における日中の紛争の実情調査のため、国際連盟より派遣されたリットン卿(英国)を団長とする調査団。満州国建国は侵略行為としながらも、満州における日本の権益の正当性を認める報告書をまとめた。

このケナンの指摘の正しさは、例えば、リットン報告書にある「日本人はシナの無法律状態により他のいずれの国よりも苦しみたり。シナにおける居留外人の3分の2以上は日本人として、満州における朝鮮人の数は約80万を算す。ゆえに現在の状態においてシナの法律、裁判及び課税に服従せざるべからずとせば、これにより苦しむ国民を最も多く有する国は即ち日本なり。日本はその法律上の権利に代わるべき満足なる保護が期待し得られざるべきに於(おい)ては、到底シナ側の願望を満足せしむるべきこと不可能なるを感じたり」との一節からも明らかであろう。
 米国は、中国において特別の権益を持っていなかったし、またそれほど多くの保護すべき自国民を中国に持っていた訳でもない。
 米国の主張にのって無法状態にある中国において特別の権利を放棄することは、自国民への保護意志を政府自らが放棄することにつながるという日本の苦衷(くちゅう)が米国には理解できなかったのはある意味では当然かもしれない。
 しかしケナンは、前述の指摘を踏まえて、米国の日本への立場への無理解は、そもそも米国政治の基本思想が原因にある、と指摘する。
 「アメリカの政治家の考え方は、道徳的ないし法律的原則の名において述べられあるいは主張されたことは如何(いか)なることであれ、その原則が現状に適用し得るかどうか疑問であり、またこれを遵守(じゅんしゅ)実際的影響かつ徹底的なものであろうとも、かかる原則の主唱者にはなんら特別な責任を負わせるものではないというのである。」すなわち米国が主張する基本原則が中国の現状に適用出来るのか否(いな)かは米国の政治家には関係ないし、日本がそれによってどのような苦境に陥ろうとも米国側が責任を感じる必要はない、というのが米国政治家の考え方だというのである。
 言い換えれば、日本の立場などそもそも理解する必要は無い、というのが米国の政治家の発想だ、ということである。
 それゆえケナンは指摘して「・・・・もし他の国が我々のいうことを聞かなければ、我々は世界世論の面前で、かれらのぶざまな様子をあばくだけである。他方、我々の主張を容(い)れたにしても、それは彼ら自身の責任においてしたことであり、その結果生ずる問題について彼らを助けてやる義務はない。――それは彼ら自身処理すべき問題なのだ。」と言うのである。
 理想としての門戸開放・機会均衡という原則に日本が同意するならば、日本は現実政策として応えよ、具体的には満州権益を破棄せよ、その結果として現実に中国に多数住んでいる日本人居留民の運命がどうなろうとも米国は責任を持つ気は無い、日本の責任で解決しろ、これを拒否すれば、日本を国際社会の中でこらしめるぞ、という訳である。
 ケナンはこうした米国の日本への態度を、「このような気持ちを持って我々は10年1日のごとく、アジア大陸における他の列強なかんずく日本の立場に向かって嫌がらせをしたのである。・・・・・多年にわたって、我々は、我々が要求していることが、日本の国内問題の見地からみていかに重要な意義をもっているかについて、考慮を払う事を拒んできた。・・・・・我々の要求が特に敏感な箇所に触れて日本人の感情を傷付けたにしても、それは我々にはほとんど影響を持たなかった。」と慨嘆(がいたん)している。
 そして日本の立場への打撃となった米国政策の実例として、第1章、第2章で取り上げた第1次大戦後の一連の対日圧迫政策を挙(あ)げている。
 「それは、第1次世界大戦直後――今度は対独戦参加によって中国大陸での立場の強化は対独参戦の当然の報酬であると考えた日本から、これを剥奪(はくだつ)しようとする断固たる運動の中心的指導者として――再び我々が出しゃばるのを、妨げるものでなかった。」
 このケナンの指摘する米国の指導者振りを理解するには、当時の米国政府首脳の本音を知ればよいだろう。
 例えば、ベルサイユ講和会議におけるアメリカ全権団の1人ランシングは、当時次のような言葉を残している。、
 「シナは日本の強奪に委(まか)せられた。民主主義の領土が専制政府に引き渡された。・・・・・自分は日本人に向かい、ドイツがシナから盗んだものをシナに還(かえ)さなければ、日本が国際連盟に加入することを好まないと言いたい。それで日本人が怒って連盟を脱退すれば、自分はその去ることを歓迎する。それは帝国主義的意図をもつ政府を厄介払いすることである。」
 ここでケナンが具体的に紹介しているのは青島還付問題である。
 しかしケナンは、わざわざ「われわれは10年1日のごとく、アジア大陸における他の列強なかんずく日本の立場に向かって嫌がらせをした」と指摘しているのは、日本の立場に無理解なまま米国の原則を押し付けようとしたのが戦前の米国の日本への一環した態度であった、それは日本にとっては明らかに嫌がらせであった。
 ここに米国の根本的な誤りがあった、というケナンの反省が込められていることは言うまでもない。


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