ソ連の動き

 大正61917)年、ロシア革命が起こり、ロシアはソ連となった。
 ソ連はコミンテルンを設立して世界革命の本部とし、世界の共産化を推進する政策を開始した。
 まず大正101921)年には、ソ連軍はロシア革命で敗れた白系ロシア人追撃を名目に外蒙古に侵入し、同地域において略奪はおろか老若男女の別なく虐殺を行い「蒙古人民革命政府」を樹立し、大正131924)年には「蒙古人民共和国」という名の衛星国を建設した。
 昭和21927)年、当時、北京政府を支配していた張作霖は、中国の共産化を警戒し、ソ連大使館をいっせい捜索して秘密文書を押収した。
 それには中国の共産化のため、孫文によって新たに樹立された広東国民党政府を援助する旨(むね)が記されていた。
 昭和31928)年、張作霖の子で満州を支配していた張学良はソ連が従来より支配していた東支鉄道全線に軍隊を配置し、東支鉄道の接収をはかろうとしていたが、ソ連は陸空軍をもって一挙に東支鉄道の軍事占領を敢行した。
 これによって、東支鉄道のみならず、北西満州は完全にソ連軍の影響下に入ることとなった。
 さらにソ連・コミンテルンは大正101921)年に結成された中国共産党の満州支部に武装暴動を起こす事を指令して、昭和41929)年4月には、「全満暴動委員会」を組織させ、共産パルチザン(極左暴力革命集団)活動を推進し、その拠点を東満州一帯に広げた。
 昭和5年から10年にかけて、間島省、安東省、吉林省、奉天省など東満州に作られた共産軍遊撃区が彼らの活動拠点である。
 反日活動を展開するパルチザン部隊は数10名を単位として、たえず移動して放火、略奪、暴行事件をあいついで起こしていった。


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