アメリカの動き
アメリカは、ハワイ王国の内政に干渉し、明治31(1898)年にハワイを併合した。
さらにスペインとの戦い(米西戦争)を起こし、明治32(1899)年にはフィリピンを併合した。
明治33(1900)年の北清事変ではアメリカもまた列国と並んで出兵し、事変終了後には列国同様の権益(居留民保護のための駐兵権等)を獲得した。
明治38(1905)年の日露戦争では、満州に影響力を拡大しようとしていたアメリカは日本を支援して戦争終結の調停役を務めつつ、戦争中に満州との貿易を拡大させた。
その貿易額は満州における列国の全貿易額の38%を占めるにいたった。
この趨勢(すうせい)に乗じてアメリカの鉄道王ハリマンは、我が国に対して、日本がロシアから接収した満鉄の買収を申し出たのである。
また、アメリカは明治42(1909)年には、満州諸鉄道の国際管理を提案し、満州の鉄道権益への介入を試みたが、それらはいずれも失敗に終わった。
しかし、昭和2(1927)年には、張作霖が満鉄併行線敷設禁止協定を無視して満鉄併行線を建設した際、アメリカ資本を提供して協力するとともに、さらに昭和6(1931)年にはアメリカは対日戦充実のための、年間戦車100台、飛行機数10機、弾丸100万発の生産能力のある兵器工場建設を援助した。
かくして、アメリカは満州における影響力を増大させていったのである。
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