APEC(エーペック)非公式会議に見る「アジア・太平洋時代の到来」

 平成5(1993)年の秋、アメリカ・シアトルで開催されたAPEC非公式首脳会議はアジア・太平洋時代の到来を告げる象徴的な出来事であった。
 アジア経済の飛躍的成長という世界史上画期的事件を背景にアジア・太平洋地域の首脳が政治体制の違いを越え、一同に会したことの意味は重い。(この時の参加国地域は、日本、米国、カナダ、中国、台湾、香港、韓国、シンガポール、ニュージーランド、豪州、フィリピン、タイ、インドネシア、ブルネイ、マレーシア)
 現在、世界で最もダイナミックな経済地域はアジアであるとされる。
 1960年代の日本、1970年代から1980年代始めにかけての韓国、台湾、香港、シンガポールという、いわゆるアジアNIES(新興工業経済地域)、ついで1980年代からは、ASEAN諸国に属するインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ブルネイが急速な経済発展を実現しつつあるからである。
 試みにASEAN諸国の国民総生産(GNP)に関して1970年と1990年とを比較すると、シンガポールが4.8倍、マレーシアが3.8倍、インドネシアが3.6倍、フィリピンが2.2倍、タイが4.0倍となっている。
 アジア全体が経済活力に満ちているのである。
 アメリカのアジア太平洋地域との貿易額は、いまや大西洋方面との貿易額の1.5倍である。
 更にR・オックスナム氏(アジア・ソサエティ名誉会長)によれば、「実際、西暦2000年には、アメリカの太平洋地域との貿易が、大西洋地域との2倍の規模に達すると指摘するレポートも存在する、昨年の米国の輸入総額は4220億ドルであったが、そのうちの3分の2は東南アジア市場への輸出であった」という。
 昨秋のAPEC会議の主催者であったクリントン大統領は、シアトル市内の演説で「北大西洋条約機構(NATO)の力が存在しなければ冷戦の終結を考えるのは困難だったのと同様、将来の世代はAPECの存在なしには、地域が協調の精神で繁栄することは想像できないだろう」と謳(うた)いあげている。
 こうした発言の中にクリントン大統領がAPEC会議の主導権を躍起になって握ろうとした理由もある(この点はAPECが平等互恵を前提とした組織として発展していくためには将来の問題点、課題として残るのであるが)。
 またAPECの将来に注目してこの会議にオブザーバー参加だけでもと出席を求めて拒否されたレオン・ブリタンEC副委員長の中にも、アジアに対する熱いまなざしを窺(うか)がうことができる。
 アメリカもヨーロッパECもアジアの経済発展に注目し、そしてそのことが、昨秋のAPEC会議をして「アジア・太平洋時代の到来」を世界に示す結果となったのである。


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