アジアの共産化を阻止した大東亜戦争の意義

 それでは戦後、アジアはソ連・中共による社会主義・共産主義の脅威にさらされなかったかと言えばそうではない。
 例えばインドネシアでは1920年代にインドネシア共産党が形成され、インドネシア独立運動を標榜した。
 昭和23(1948)年9月、続いて昭和40(1965)年9月30日にクーデター事件を起こし、後者は成功寸前のところでスハルト率いる陸軍によって鎮圧された。
 インドネシア共産党は中ソにつぐ300万人党員を擁(よう)し、一歩間違えれば東南アジアの大国インドネシアが共産化され、更には他のASEAN諸国にも波及する勢いだったのである。
 インドネシアの共産主義クーデターには中共の関与があったが、他のアジアの国々に対してもアフリカ同様の支援シフトが中ソ両国に敷かれたであろうことは、日本においてさえいわゆる六十年安保闘争が革命前夜と言われ、中ソ両国からの支援が革命陣営にあったことが最近のソ連崩壊によるモスクワからの新資料発掘によって明らかにされたごとく間違いない事実であろう。
 昭和20(1945)年8月17日のインドネシア独立、昭和22(1947)年8月15日インドの独立、昭和23(1948)年1月4日のビルマの独立、昭和32(1957)年8月31日のマレーシアの独立等続くのであるが、これらの国家の独立に際して、アフリカと決定的に違うのは、これらの国々の植民地宗主国を追放したのは日本であり、日本によって解放されたことである。
 そのことにより、それらの国々に共産主義に立脚しない独立・解放運動の中核が誕生したことである。
 実際、我が国が戦前から戦中において出した公式文書を見れば、我が国が大東亜戦争をいかなる理想・目的の下に戦ったかは明らかである。
 例えば大東亜戦争の勃発の際において、アメリカに対して発した対米覚書では、
 「合衆国政府ノ意図ハ英帝国其他ノ諸国ヲ誘引シ支那其ノ他ノ地域ニ対シ其ノ従来保持セル支配的地位ヲ維持強化セントスルモノト見ルノ外ナキ処東亜諸国カ過去百有餘年ニ亙リ英米ノ帝国主義的搾取政策ノ下ニ現状維持ヲ強ヒラレ両国繁栄ノ犠牲タルニ甘ンセサルヲ得サリシ歴史的事実ニ鑑ミ右ハ万邦ヲシテ各其ノ所ヲ得シメントスル帝国ノ根本国策ト全然背馳スルモノニシテ帝国政府ノ断シテ容認スル能ハサル所ナリ」
 と我が国の立場を明示しているのである。
 我が国の大東亜戦争の戦争目的が「過去百有餘年ニ亙リ英米ノ帝国主義的搾取政策ノ下ニ現状維持ヲ強ヒラレ両国繁栄ノ犠牲タルニ甘ンセサルヲ得サリシ」アジア諸国をして「各其ノ所ヲ得シメントスル」ものである以上、我が国は英米植民地軍との緒戦に勝利するや、東南アジア各地において植民地体制打破・独立達成のための様々な政策を推進することとなったのは当然の帰結であるといえよう。
 アフリカの独立運動が社会主義・共産主義の主導のもとに行われたのに対して、東南アジアの独立は日本の支援によって実現された。
 かくしてアフリカにおいては国家独立と社会主義化・共産主義が同義語となり、東南アジアにおいては国家独立と反共が両立し得たのである。
 先に触れたインドネシアにおける共産勢力のクーデターを阻止したのが、日本軍によって指導・訓練されたインドネシアの祖国防衛義勇軍(ペタ)出身の国軍幹部の結束であった。
 このことからも明らかなごとく、マレーシア、ビルマ、インド等において日本の多大な犠牲と協力によって生まれた独立運動の中核部隊は共産主義運動と対決しつつ、自国を独立の栄光にまで導いてきたのである。
 東南アジア諸国が社会主義化・共産主義化を阻止し得たことによって今日の繁栄を獲得していることを考え、併(あわ)せてアフリカの惨状に思いを致す時、大東亜戦争において日本が掲げた、東亜の安定・東亜の繁栄は今まさに力強く実現されようとしているのである。


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