はじめに

かつての戦勝を誇る欧米諸国

 大東亜戦争終結50周年を迎え政府及び民間団体では様々な行事が持たれようとしている。
 海外においても今年は第2次世界大戦終結50周年(1995)ということで戦勝記念の式典をはじめ様々な行事が持たれ、また持たれようとしている。
 このような動きの中で私たちがとりわけ注目せずにおけないのは、第2次世界大戦の戦勝国であった欧米諸国の動きである。
 これらの動きの概ねは、この時とばかりに自らの戦勝を誇示するものばかりである。
 アメリカのクリントン大統領は2月29日、アーリントン墓地にある硫黄島記念碑の前で「犠牲の大きさにこたえるためにも、我々の自由が2度と外敵の脅威にさらされないよう世界で最も強いアメリカを維持していくことを決意しなければならない」と述べた。
 ここにある「外敵」とは、言うまでもなく日本のことである。
 アメリカは米軍の硫黄島制圧の3月14日現地においても記念式典を行う予定であるという。
 わざわざ日本に来てまで自らの戦勝を誇ることに、日本人はほとんど理解しがたいものがある。
 このように戦争が終わって50年も経った今日に至っても、「欧米は正義の国であり、日本は不正義の国、侵略国である」という図式が、欧米諸国に確固として存在している。
 昨年の暮れにもアメリカ政府は広島の原爆投下を記念切手にすると発表した。
 幸いにもこれは日本政府の抗議で取りやめにはなったが、最も残虐な殺戮兵器=原子爆弾の一般民衆への投下が、「自分たちは正義の国であり、日本は侵略国家の悪徳国家である」という図式によっていとも簡単に正当化されるに至っては怒りすら感じる。
 この50年間の日米の平和的関係は一体何であったのかと疑わずにいられないほどである。

来世紀の為に必要不可欠な今世紀の2つの世界大戦に対する総括

 しかし、いずれにしても私たちは今なお確固として存在している。
 この欧米諸国の歴史観に対してどう対処すべきなのかを充分に考えておかねばならない。
 少なくとも来世紀に向かって世界的な様々な問題を解決していくためには、2つの世界大戦が起こった今世紀の時代が、いかなる時代であったのかを充分に総括しておかねばならないであろう。
 その意味では欧米が堅く抱いている、一方を善、他方を悪と決めつけるようなある意味で排他的で単純な歴史観によっては、今世紀の時代を充分に認識し直し、充分に総括することはできないであろう。
 戦後の日本人の多くは、この欧米の歴史観、いわゆる東京裁判史観に犯され、歴史の真実が見えなくされているが、そのような状態では歴史の本質を掴(つか)むことはできず、今世紀の総括は到底出来ないのである。
 2つの世界大戦の戦勝国である欧米は、今なお世界の平和を乱したのは日本とドイツであると言っている。
 しかし、かつて人類が経験したことのなかった、癒(いや)し難い物質的精神的損傷を負わしめた2つの世界大戦が、なぜに、30年もたたないうちに立て続けに起こってしまったのであろうか。
 欧米諸国のような排他的な歴史観では、このような深い反省に立っての歴史認識は生まれて来ないといっても過言ではない。
 日本とドイツが強盗か何かのように突然、世界を荒らし回ったかのような単純な歴史観では到底歴史の本質を掴むことは出来ないのである。
 本パンフレットの主要な課題は、この問題に集約されていると言っても過言でない。
 極めて大胆な提起であるが、今世紀の2つの世界大戦は、欧米500年の植民地支配の歴史の流れの中でとらえなくては充分に認識できないというものである。
 本文で明らかにすることであるが、この500年間の世界史は、コロンブスのアメリカ新大陸発見を契機に世界各地で有色人種に対する過酷な植民地支配と植民地争奪戦が展開されたことによって、これまでにない大規模な「悲劇の連鎖反応」が今世紀に至るまで展開されてきた。
 その世界史の流れの中で、今世紀の2つの世界大戦があったといえるのである。

世界植民地支配の歴史を隠蔽し続けている欧米の不誠実な態度

 しかし、かつて2つの大戦の勝利国であった欧米諸国は、今日もなお、そのことには一言も触れようともしない。
 それどころか、前述したように「日本やドイツが侵略国家であったからだ」と強弁し、自らの責任をすべて、敗戦国の日本やドイツに転嫁し続けている。
 自ら陣頭指揮を執って行った先の2つの世界大戦と、自分たちが自らの欲望に駆られて行った植民地支配とが、何の歴史関係もなかったかのごとく言い続けている。
 このような欧米諸国の態度が、果たして、来世紀に向かって世界の様々な課題を解決していく誠実な態度と言えるであろうか。
 私たち日本人は、彼らの歴史的事実を無視した歪曲した歴史観こそ徹底的に問い直すべき時にきている。
 しかし、悲しいかな今日の多くの日本人は、この過てる不誠実な欧米諸国の態度に何ら気づいてはいない。
 それどころか、むしろ、彼らの仕掛けたトリックに完全にはまってしまい、事あるごとに歴代首相をはじめ時の政治家たちは、「日本が侵略した」と謝罪し、揚げ句のはてに、謝罪の意志を国会決議として、表明しようとしている。
 こんな自虐的行為があるであろうか。

無意識のうちに偏狭な「時間的空間的視野」に押し込まれている日本人

 だが、このような「侵略戦争歴史観」からの脱却の必要性をいかに頭の中で認識していても、欧米諸国によって仕込まれた「侵略戦争史観」に、私たち日本人は、無意識の内に押し込められいることに気付かされる。
 そのことが第1に言える点は、戦争をみることの「歴史的スパン」が、日本人は余りにも短いということである。
 すでに触れて来たように、彼ら欧米諸国の歴史観は、少なくとも500年の歴史スパンにあることは間違いないであろう。
 それに対して日本人の抱いている歴史的スパンはどうであろうか。
 「侵略戦争史観」とは「15年戦争史観」であるから、たった「15年」そこそこの歴史的スパンである。
 これでは1人の人間の人生すら促らえることができない時間ではないか。
 その第2点は、日本人の「空間的視野」の狭さである。
 欧米諸国がこの500年間抱いていたことは世界制覇に外ならなかった。
 彼らは世界地図を片手に、世界各地を巡り、影響力の拡大をはかって来たのである。
 それに対して日本人はどうであろう。
 外国人から「お前の国は侵略国だ」と言われれば、たちまち動揺する始末である。
 もはや「世界地図」の一片すら日本人の頭の中にはない。
 今日、アジアの諸国は一様に日本に対して日本はもっと、これからアジア全体のことを真剣に考え対処していってほしいと迫って来ている。
 アジア諸国の人々の頭の中には、常にアジア全体の情勢があり、世界全体の情勢があり、その中で自分たちは、アジアは何をすべきであるかという発想が常に動いているに違いない。
 日本人は、エリートである外交官ですら、このようなアジアの人々の問いかけに対して、全くの及び腰である。
 「いやアメリカとはこういった関係にありますから」「いや日本の憲法ではこうなっておりますから」と尻込みし、完全に局部的関係や内部事情の問題に縛られ、すべての思考がストップしてしまっているのである。
 実に日本人の視野の狭さを思い知らされるのである。

 「世界歴史地図」を片手に「欧米500年の世界植民地支配」の歴史を問い直す

 いずれにしても、現在の日本人の意識のままでは、到底、欧米諸国のスケールの大きい「世界史的スパン」「空間的視野」に対処することは不可能であろう。
 今なすべきことは、欧米諸国が隠蔽し続けて来た欧米500年の世界植民地支配の歴史的事実を1つ1つ、つぶさに検証し直してみることである。
 そうすれば、そこに彼らの世界制覇の意図に気付づかされ、それが現在の世界問題と密接に関係していることに気付かされるであろう。
 そうなれば現在の欧米の動きに対しても、見逃さずにはおけないという活眼が開かされ、現在の世界的問題に自由闊達(じゆうかったつ)に反応する気概が自ずと生まれてくるのではないだろうか。
 その意味で、本文では欧米500年の世界植民地支配の歴史が、具体的にどういう段階を経て、今日の世界情勢に至ってくるのかを明らかにするために「世界歴史地図」を援用することとした。
 私たちは世界地図を目にするだけで、自ずと「空間的視野」が広げられる。
 それを歴史的段階に従って世界地図をみることによって、より広い空間的視野と時間的視野を持つことが可能になるであろう。
 私たちはまず、自らの時間的空間的視野を広げる助けとなる世界歴史地図を片手にこれまでの500年の歴史を振り返り、日本が50数年前に大東亜戦争に至らざるを得なかった世界的状況がどういうものであったかを認識し直してみたい。
 かつては欧米列強は世界地図を片手に大航海をした。
 私たちもこれに対抗して、この世界歴史地図を片手に、これから来世紀にかけて起こるであろう、欧米との歴史論争に挑んでみる気概を持たねばならない。

世界地図屏風」 福井の淨得寺蔵の「世界地図屏風」。イエズス会士から提供されたヨーロッパの最新原図をもとに狩野派画家によって描かれた日本最初の世界地図。

物理的戦争を避けるための「進取の気性」に満ちた「歴史」論争を

 だが、このことは、欧米に対して宣戦布告するという意味では決してない。
 むしろ、物理的戦争を避けるために、徹底的に彼ら欧米と歴史論争をするのである。
 かつて吉田松陰をはじめとする幕末の志士たちも、江戸後期に伊能忠敬などが作成した地図を片手に日本の沿岸を実地調査し、欧米列強の侵略の危機にあった日本をいかにして守るべきかを肌身で考え、世界に誇るべき明治維新を成し遂げた、今、「一国平和主義」のぬるま湯に陥っている私たち日本人に最も必要なのは、このような「進取の気性」に充ち満ちた地政学的発想ではないだろうか。
 ここに掲示した世界歴史地図が、来世紀に向けての歴史論争に打ち勝ち、相共に新文明の創造の道に歩んで行くための、初歩的「航海図」の1つとして活用していただければ、望外の喜びである。


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