パール博士の日本無罪論
ラダビノード・パル博士略歴
年 | 詳 細 |
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1886年 | 1月27日インド、ベンガル州ノディア県クシュティア郡カンコレドホ村に生まれる。 |
1907年 | カルカッタ、プレジデンシーカレッジにおいて理学士の試験に合格、数学賞を受ける。 |
1908年 | カルカッタ大学にて理学修士を取得。 |
1910年 | インド連合州会計院書記生として就職。 |
1911年 | カルカッタ大学において法学士の学位を取得。 |
1920年 | 法学修士の試験を一番で合格する。 |
1921年 | 弁護士登録。 |
1923−36年 | カルカッタ大学法学部教授に就任。 |
1924年 | カルカッタ大学にて法学博士(LLD)の学位を取得(論文は「マヌ法典前のヴェダ及び後期ヴェダにおけるヒンズー法哲学」)。 |
1925年 | カルカッタ大学“タゴール祈念法学教授”に任命される。このインド学会最高の栄誉といわれる“タゴール祈念法学教授”に1930年、1938年と3回にわたり任命されたということは、同大学創設以来のことと言われる。 |
1927 - 41年 | インド政府法律顧問に就任。 |
1937年 | 国際法学会の総会に招聘(しょうへい)され、議長団にその一人に選ばれる。 |
1941 - 43年 | カルカッタ高等裁判所判事。 |
1944 - 46年 | カルカッタ大学副総長。 |
1946 - 48年 | 極東国際軍事裁判(東京裁判)所判事。 |
1952 - 67年 | 国際連合国際法委員会委員(1958年度及び1962年度委員長)。 |
1952年 | 下中弥三郎氏らの招聘により、世界連邦アジア会議に参加。 |
1953年 | 三たび来日、大倉山文化科学研究所において講義。 |
1955年 | 世界連邦カルカッタ協会会長に就任。 |
1957年 | 常設仲裁裁判所判事に就任。 |
1959年 | ナショナル・プロフェッサー・オブ・ジュリスプルーデの称号を受く。 |
1960年 | インド最高の栄誉である PADHMA RPI 勲章を授与される。 |
1966年 | 清瀬一郎、岸信介らの招聘により、四たび来日。日本政府より勲一等に叙せられる。 |
1967年 | 1月10日、カルカッタの自宅において逝去。 |
※ 田中正明著『パール博士のことば 東京裁判後、来日されたときの挿話(エピソード)』(1995年1月刊)より
※『共同研究パール判決書太平洋戦争の考え方』(東京裁判研究会著)(上写真、右)
『INTERNATIONAL MILITARY TRIBUNAL FOR THE FAR EAST /DISSENTIENT JUDGEMENT
OF JUSTICE PAL』(国書刊行会)(上写真、左)
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