パール博士の日本無罪論


1944年、カルカッタにて撮影


パール博士言行録(PDF)

ラダビノード・パル博士略歴

詳 細
1886年  1月27日インド、ベンガル州ノディア県クシュティア郡カンコレドホ村に生まれる。
1907年  カルカッタ、プレジデンシーカレッジにおいて理学士の試験に合格、数学賞を受ける。
1908年  カルカッタ大学にて理学修士を取得。
1910年  インド連合州会計院書記生として就職。
1911年  カルカッタ大学において法学士の学位を取得。
1920年  法学修士の試験を一番で合格する。
1921年  弁護士登録。
1923−36年  カルカッタ大学法学部教授に就任。
1924年  カルカッタ大学にて法学博士(LLD)の学位を取得(論文は「マヌ法典前のヴェダ及び後期ヴェダにおけるヒンズー法哲学」)。
1925年  カルカッタ大学“タゴール祈念法学教授”に任命される。このインド学会最高の栄誉といわれる“タゴール祈念法学教授”に1930年、1938年と3回にわたり任命されたということは、同大学創設以来のことと言われる。
1927 - 41年  インド政府法律顧問に就任。
1937年  国際法学会の総会に招聘(しょうへい)され、議長団にその一人に選ばれる。
1941 - 43年  カルカッタ高等裁判所判事。
1944 - 46年  カルカッタ大学副総長。
1946 - 48年  極東国際軍事裁判(東京裁判)所判事。
1952 - 67年  国際連合国際法委員会委員(1958年度及び1962年度委員長)。
1952年  下中弥三郎氏らの招聘により、世界連邦アジア会議に参加。
1953年  三たび来日、大倉山文化科学研究所において講義。
1955年  世界連邦カルカッタ協会会長に就任。
1957年  常設仲裁裁判所判事に就任。
1959年  ナショナル・プロフェッサー・オブ・ジュリスプルーデの称号を受く。
1960年  インド最高の栄誉である PADHMA RPI 勲章を授与される。
1966年  清瀬一郎、岸信介らの招聘により、四たび来日。日本政府より勲一等に叙せられる。
1967年  1月10日、カルカッタの自宅において逝去。

※ 田中正明著『パール博士のことば 東京裁判後、来日されたときの挿話(エピソード)』(1995年1月刊)より

『共同研究パール判決書』(右)、『DissentientJudgement of Justice PAL』(左)

※『共同研究パール判決書太平洋戦争の考え方』(東京裁判研究会著)(上写真、右)
『INTERNATIONAL MILITARY TRIBUNAL FOR THE FAR EAST /DISSENTIENT JUDGEMENT OF JUSTICE PAL』(国書刊行会)(上写真、左)


注意 当ホームページに掲載している史料を引用先を掲載せずに使用しているモノが時折見受けられます。
インターネット上ではリンク・フリーとしていますが多くの人に知っていただく為にも、、書籍等の場合引用先を必ず掲載して下さい。
特にこれらの資料は私費を元に入手している場合が多々あります。
当ホームページ管理者は、以前に2名の大変失礼な教授達の無断盗用によって経済的にも損失を受けたこともあります。
掲載物は著作権が発生します。きちんと確認を取って下さい。場合によっては法的措置を取ります