大命拝受
昭和十二年八月富士山中静養中、同月十四日陸軍大臣の召電を受く、上京、翌十五日宮中に於て上海派遣軍司令官親補の勅を拝す。
翌十六日、参謀総長より派遣軍に関する奉勅命令井参謀総長の指示を受く。
即派遣軍の任務は
上海附近の敵軍を掃蕩し、其西方要地を占領して上海居留民の生命を保護するにあり。
蓋し当時に於ける我政府の政策は、中支は勿論北支に於ても務めて時局を局地的に解決し、事件の不拡大を根本主義とせるを以て、上海附近に於ても可成昭和七年列国間に協定せる(一九三二年)停戦協定の精神井其取極に遵ひ、時局の一時的解決を企画せしものなり。
従て派遣軍の任務は上記の如く極めて消極的に上海附近の防衛と我居留民の消極的保護を其目的とし、派遣軍の兵力も第三、第十一師団(二聯隊欠)の二個師団弱の微弱なるものなしなり。
※注・原文カタカナ
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